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ぶんじん

最近分人(ぶんじん)っていう新しい考え方を知って、その考え方がもう、「まさにわたしの人生これだー!」って感動してしまったので書きたいなあ、と。

分人が何かって、わたしの言葉と解釈で説明してしまうと、

人間ってのはブレない一つの個ではなく、色々なコミュニティ、色々な人の前で見せるそれぞれの自分が集まったもの

という考え方だ。これは今公開中の「マチネの終わりに」などを執筆した作家の平野啓一郎さんが提唱していて、彼の作品にはこの分人主義が描かれているものが多い。

わたしが今まで悩んできたことを言語化して、しかも提唱してしまう、その考えの深さに思わず感服してしまった。

自分がすごくブレにくい人間だというのは自覚してて、ファッションとか髪型髪色とか、見えるものにも現れてると思う。(たぶんこだわりが強い)

だけどわたしという「人間」は、存在してるコミュニティや居場所の数だけ存在してて、例えば高校の友達の前のわたしは、ガンガン自己開示して、自分のことを全てさらけ出して話す。自分の弱いところとかも思わず出しちゃうけど、でも彼女達と話してると高い自己肯定感で会話ができる。

反対に大学では色々なわたしが存在してて、例えばバイトは、少なくともうるさいキャラクターじゃない。バイトのカラーもあるのかもしれないけどわたしよりもバイトへの意識が高い人が何人もいて、わたしより細かい人が多いから、あまり厳しくない。接しやすいね〜!って褒められることが多いし、後輩にもなめられてる。笑 仕事もできる方じゃないし、先輩達も頼れるし、そう思うと気が楽なのか、素でいられて、バイトをしてるときのできないところも含めて等身大のわたしが好きだ。

だけど大隈塾のSAのわたしはありえん細かいことをフィードバックで言ったりして、こんな細かいことを感じるわたしってめんどくさ…ってちょっと嫌になる。だけど気になっちゃう。こだわりなのかなあ。それに、人から見たらガードが固いと思う、、これはSAだからとかじゃなくてスチューデントだったときから。でもSAとかスチューデントの前でのわたしは凄く好きだ。そんなわたしを含めて受け入れてくれるし、何よりも話してて楽しい。ほんとに大隈塾はいい人が多いなあって思う。

サークルをやってるときのわたしはあんまり好きじゃない。役職をやってた時は、特に嫌いだった。すぐいろんなことに感情を使って、疲れて、自分じゃないみたいだった。そこにいる人とかが凄く嫌いなわけじゃなかったんだけど…。


そんな感じでいろんなわたしがいて、それぞれのわたしの短所に悩んでいた。だんだん悩んでるうちに、なんで自分はこんな二面性があるんだろう、とか、人によって好きな自分と嫌いな自分がいるのなんでだろう、とか不思議に思ってきて、でもどうしようもなかった。


それを分人っていう考え方が心を楽にしてくれた。平野啓一郎さんのtedのこの言葉が特に分人という解釈の真髄をついている。

たくさんの人に囲まれて生きていると、その中の何十パーセント 、たくさんの人に自分が愛されないとなんだか生きていけないような気持ちになります。教室の中、会社の中 、しかし 好きな自分の数を数えていけば そんなに何十個もいらないのかもしれません。 2つや3つ、あの自分は結構好きだなという自分が、自分の中にあれば 、そこを足場にして生きていける 5つも6つもあればもう十分というぐらいかもしれません。

そう、特定の人やコミュニティの前での好きな自分が2つ3つあれば、生きていける。

嫌いな自分がいてもいいんだ、って楽になれた。

哲学とかこういう思想は興味がなかったけど、この現代に、「○○主義」が存在していて、それに共感できる、そしてこれからの自分がこの考えで気を楽にして、もっと、もっとイキイキできると思うと、ワクワクした。

この考えが、同じことを考えたことがある人とか、対人関係悩んでる人とかにもっももっと届くといいなあ!

写真がないので可愛くて大好きでリスペクトが止まらないらこちゃんで!20歳おめでとう!





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