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6万円の使い方——夫の趣味を「なぜ許せるんですか?」と聞かれて考えたこと

会社の研修で、勉強会に参加することになった。講座の目的は、自分自身を魅力的にプレゼンできるようになること。まずは自分の興味や専門、経験などのなかから、他の人が面白いと思えるものはどんなものかを探ろうということで、グループワークで話し合うことになった。

私の経歴は、けっこう変わっている。社会人になってからイギリスに留学し、帰国後は働きながら大学院に通い、最近は博士号をとったばかりだ。専門は外国語教育で、研究テーマは帰国子女。そして、趣味は音楽、熱気球部に入って活動していた経験もある。自分ではどれもそれなりに面白い話だと思っているのだけれど、何が人の興味を引くのかは、たしかによくわからなかった。そこで、いろんな話題を小出しにしながら他の人の反応を見てみたのだが、一番食いつきがあったのは、なんとなくポロッとこぼした「夫がロボットオタクであること」だった。単に夫がロボットオタクであることが興味を引いたのではない。なぜ夫がロボットオタクであることを私がそんなに肯定的に受け止めているのか、ということが周囲の興味を引いたようなのだ。

夫はロボットオタクである。「クレイジーおもちゃオタク」を自称しており、自宅にあるロボット玩具は100や200では足りないかもしれない。自室の棚にはさまざまなロボットがひしめきあい、飾りきれないロボットが業務用のコンテナに詰め込まれ、クローゼットを埋め尽くしてもまだスペースが足りず、部屋の一角に積み上げられている。あまりのクレイジーおもちゃオタクっぷりに、インタビュー記事を作ってしまったほどである。

一方、私はロボットにまったく興味がない。夫と10年以上いっしょに暮らしたおかげで、トランスフォーマー、ミクロマン、ダイアクロンといった単語は知っている。しかし、どれがコンボイでどれがメガトロンかと言われたら区別がつかない。ガンダムはロボットじゃなくてモビルスーツということは知っているけれど、ガンダムの映画を見たのは令和に入ってからである。

ガンダム鑑賞の様子は夫にツイートされてしまった。

夫と何年暮らしても、私はロボットに興味は持てないままなのだけど、おもちゃに関する知識は順当に増えてきた。たとえば、おもちゃになじみのない人には知られていないことだと思うが、基本的におもちゃは1回作りきりで、売り切れたら廃盤になる。復刻したり再販したりするかは誰にもわからない。だから、これぞというおもちゃが売り出されたら、すぐに決断して買わなければ、手にする機会は二度とないかもしれない。

たとえば、2023年4月、ダイアクロンという大人向けのロボット玩具シリーズから、「グランドダイオン」という商品が発売になったのだけれど、これは平たく言えば、45cmもある、巨大なロボットの下半身である。お値段、63,800円。6万円以上する、ロボットの下半身。これは変形するおもちゃで、戦艦にすることもできる。これだけでも驚く人がいるかもしれないが、問題はそこではない。おそろしいことに、これが発売された時点では、このロボットの上半身は発表になってすらいなかったのである。

おそらく下半身と合体することになるであろう上半身は、どんなデザインになるのかまったくわからない。いつごろ発売なのか、そもそも上半身はちゃんと発売になるのかも定かではない。もし発売されたら、おそらく下半身と同じくらいの値段になることが予想される。全体で12万超え、90cmのロボットができる、かもしれない。下半身があまりに売れなかったら、上半身は幻になって、6万円超えの下半身だけが残されるかもしれない。そんなめちゃくちゃな状況であっても、ロボットオタクは発売と同時に高額下半身を買うしかない。上半身が発表になるまで待っていたら、下半身が売り切れるかもしれないから。売り切れたら、もう手に入らないかもしれないから。

我が家にあるロボットの下半身

そんなわけで、我が家にも63,800円の下半身しかないロボットがやってきた。こういう話を外ですると、絶句されることがある。「こ、心が広いんだね」と褒められ(?)たり、「大丈夫?」「いいの?」と言われたり、もうちょっと酷いと「ないわー」「私なら許せない」「別れる」とはっきり言われたりもする。これはつまり、ロボット玩具なんかにそんな大金をかけることを許していいのかということが問題になっているのだと思う。6万円あったらいろんなことができる。ご飯だったらいい店でフルコースが食べられるだろうし、1泊2日くらいなら旅行に行けるし、ちょっとしたアクセサリーだって買える。そうした他の選択肢を捨てて、夫の趣味のロボットにお金をかけることを許していいのか。 

改めて考えてみたけれど、やっぱり私は「いい」としか思えなかった。コース料理も旅行もアクセサリーもたしかに魅力的なのだけど、「自分で6万円出してでもやりたいか」と言われると、そうでもない。仮に今、「あなたに6万円あげますから、好きに使っていいですよ」と言われても、「これぞ!」というものが思い浮かばない。「お金を出してもらえるなら買ってもいいかな」というものならいくつか思いつくけれど、頭の隅から「でもすぐに持て余すかもな」という声が聞こえてくる。「これに使ったら後悔しない!」という6万円の使い方が思いつかない。「自分で6万円を出してでもどうしてもこれが欲しい!」というものが、今の私にはないのだ。

だから、夫がロボットの下半身にお金を使っているのを見ると、「いいなぁ」と思う。高いものを買っていることがうらやましいわけではない。こんなに好きなものがあって、自分でお金を払って手に入れたいと信じられるものがあることが、とても幸せそうで、いいなぁと思うのだ。私が「なんとなくいいかも」と思いついたコース料理や旅行やアクセサリーにお金をかけるより、夫が本気で欲しくてたまらないと思ったロボットの下半身を買って遊ぶことは、ずっとずっと豊かなことだ。クレイジーおもちゃオタクが、ロボットの下半身を買うことでしか得られない体験がある。そこにお金を使うのは、すごくいい。私もそういうお金の使い方をしていきたい、私にもそれくらい好きなものがあったらと思うくらい、とってもいいお金の使い方なのだ。

思うに、「パートナーが趣味が許せない」という気持ちは、この「うらやましい」という心の動きから来ているのではないだろうか。もちろん、それで生活が成り立たないくらいにお金を注ぎ込んでいるならば話は別だけれど、お金が足りないわけじゃないのに「パートナーの趣味が認められない」「なんだか許せない」と悩む人の本当の悩みは、そんなふうに自分の心に従って生きてみたいってことなんじゃないだろうか。お金をかけるべきと客観的に認められることであるかとか、仕事か何かの役に立つかどうかとか、そんなことはどうでもよい。自分の心が動くもの、本当にいいと思えるものを見つけて、自分の好きを突き詰めていく。高額なものだって、自分が価値を認めているものだから、自信を持ってお金を使うことができる。そこまで思えるものがあったら、人生が楽しそうだし、自分の気持ちに正直に生きられている感じは心地よさそうだ。

だから、あのときグループワークで聞かれた「どうして夫さんの趣味を許せるんですか?」という質問に答えるなら、「あなたも自分の心に従ってお金を使ってみてはどうでしょう」ということになるのかもしれない。だって、相手が自分の好きなことに打ち込んで、それにお金を使って、満足していて、なおかつ生活のお金が足りなくなっているわけじゃないのであれば、何にも問題は起きていないのである。むしろ、予算の中で相手はハッピーになっていて、いいことしか起きていない。それが許せないと感じてしまうのは、きっと自分の心の問題なのだ。もしかしたら、自分にも相手と同じくらい、楽しいことが人生に起きてほしいというだけのことかもしれない。

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イケダトモミ
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