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父との卵かけご飯の思い出

私の卵かけご飯の思い出は、ややくらい。

小学6年生か、中一の年齢になっても、父は、休みになれば、活動的で、今で言うなれば、アウトドア派。中身は、うなぎ捕り、ワカサギ釣り、やってはいけない野生の石楠花掘りなど。今いう、アウトドアといえば、聞こえはいいが・・。

そういうものに、蛍光灯の私故、引き摺り回された。

田舎の、特に、山道の国道沿いには、長距離トラック運転手さんが利用できる、小さな食堂が朝から、やっていた。

朝食定食は、味噌汁、漬物、どんぶり一杯の白飯、そして、生卵。

必然的に生卵がメインとなる。

昔だから、300円ぐらいじゃないかしら。いや、もっとやすかったかもしれない。

正直、卵かけご飯は、あまり好きでなかった。白身が切れないのである。

卵ポケットの技も知らず、生卵の出された器に卵を割り入れて、かき混ぜて、醤油をたらして、どんぶりご飯にかける。

全部平らげないと、父の機嫌を損なう。

本当に怖かったのである。

周りは、父言葉で、言えば、「雲助」さんばかり、それも強面。

「雲助」とは、長距離運転手、トラック運転手さんのことであった。

味噌汁も、わかめが入っていたような。

まあ、朝から、ビールとかお酒を飲む人はいなかったようだが、実情は知らない。

今でも、あまり卵かけご飯は、好きでありません。


幼い時、おじさんたちが未婚でまだ一緒に暮らしていた。
米作りも、家族全員で、手伝った。

男尊女卑だったので、力仕事をするおじさん、父に、生卵は振る舞われた。

そして、何もできない女子供は、豆の煮汁がけ、時には醤油がけご飯が普通であった。だから、今でも、卵よりも、醤油かけご飯の方が好き。

そして、結婚して、焼肉屋さんに連れられていくのだが、一切れは、配分はある。白いご飯を普通のお茶碗一杯注文され、あとは、焼肉のタレをかけて、ご飯を食べていた。焼肉タレと、白いご飯は意外と美味しいのだ。


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