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「縁側のある家」母のコミュニケーションの場、縁側の威力を知る。(こんな日もあるさ #5)

母が、モテるって?

いやいや、なんでしょうね?

昨日は、朝一番に、前から電話してあったのか、通称「ととやのおかちゃん」が、姉が慌てて持ってきた畑で収穫した野菜を、取りに見えた。受け渡しは、必ず、お勝手口の縁側。

そういう時に、縁側があるといいものだ。ものをおいたり、腰掛けて、簡単な会話ができる。

彼女は車で。数年前、お店を仕切っていた板前の息子さんを亡くされ、昔と比べると、少し寂しそう。

両手に、野菜の入ったビニール袋を下げて、車まで運ぶ後ろ姿見ただけで、片方の手が空くように、それを持ってあげたほうがいいかなあと、急いで、「袋、持ちます」と、駆け寄り、片方のものをもつ。

小料理屋さんだけあって、色々な人を見ているから、話し方も、内容も、隣近所の人より、偏見がないし、詮索もない。

車の後部座席のドアを開けられるまで、荷物を持ってあげた。「ありがとう・・」と。

軽く、会釈して、車は、立ち去る。


その後、隣のそのまた下の隣の、某何某が回覧板を持って現れる。

回覧板を先々日持って見えた日、口の悪い母は、私に、

「某何某は、私と、同じぐらいだけど、顔がシミだらけで、腕には、死にジミみたいなのができていて、ムサイ・・」と、こぼした。

その某何某さんである。

某何某に、「下の娘や・・」と、ムサコ(母のこと)。

私は、「出来損ないの下の娘、上は優等生だったけど・・」


某何某、縁側に座って、何やら、母と会話を。

「俺は、ムサちゃんの、ひとつ上や・・」

ご老体同志、腰が痛いだの、耳が遠くなったとかのぼやきを言い合っている。

ムサコは、偉そうに、「なんとか遼太郎の本が面白て、読んでいるが、目がすぐ疲れてしまって、あかんわ」


少し前までは、回覧板を持ってくると、必ず勝手口から、大きな声で、

「ムサちゃ〜ん、ムサちゃ〜ん、おるか?回覧板!!」

が、ここ最近は、苗字で、呼ぶようになった。


これはどうも、私が、出入りしていることが知れ渡りつつある証拠なのである。

某何某の奥さんが、バリバリのおしゃべりで、ムサコが嫌いなタイプ。一度だけ、玄関で、鉢合わせ。


某何某も、遠慮して、苗字に変えたようだ。

ムサコがいうほど、某何某は、90近い、普通のご老体で、私から見たら、全然。男性は、劣化が激しいのだ。

ムサイのは、ムサコが食事の時、ポロポロと、こぼすこと、口汚い言葉の羅列。

私が、家のまえのシンボルツリーである黒松の剪定しはじめたら、

「えらいこと、しょーるな!!まあ、自由に剪定すればよか!」

と。松の剪定は、田舎ではいまだ男性のやるものと、位置づけられていて、少し、揶揄混じりの気持ちも入っていることは確かだ。だが、負けない、そんなことで、挫けない。



が、まあ、よくぞ、ご老体連中が、やってきては、勝手口の縁側に座り込み、話をしていく。


縁側の利点は、家に上げてもいい人、例えば、母の妹つまりは、オバなど、親族関係で、いけない人は、近所の人であり、他人様の男性、そういう方は、縁側で用を済ませている。

そういうことで、ムサコのコミュニケーションの場として、縁側は、偉大な働きをする、強力な砦でもある。


今時の新築の家を見ると、縁側が張ってあるのは、ごくごく珍しい。表じゃなくて、お勝手口だから、それほど、人目にもつかないし、安心してぼやき言葉を吐ける。


なるほど、縁側を付けたのは、足腰が悪いから、靴の着脱の際のワンクッションだけでなく、他人様の来訪の砦。

もしかして、母、ムサコの人柄なのか、いやいや、昔は車庫だったが、今は軽トラも処分して、その空間があり、その向こうに農機具が置いてある納屋。傍らに昔、私たち姉妹が使っていた机が雑然とおかれ、その上に、雑巾やら、野菜入れのザルやら、置いてあり、綺麗とも言えない様子が、安心感を持たせるのか。昔ながらの、お馬さんがポコポコの時代から、お寺の和尚さんが、一杯お茶をいや、オチャケをという、時代からのそんな家風の名残りかもしれない。

縁側は、まるで高齢者の憩いの場のような。母が他人と会話することで、孤独にならないように。

そんな縁側の魅力を知った。


こんな日もあるさ。#5


雨の日は、ヤモリも出る。

ヤモリを見ると、昔話の「古屋のもり」という話を思い出す。







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