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私について

物心ついた時には既に生き辛かった。最初の記憶は保育園。どうしても昼寝ができずに、上半身を起こした時に目にした光景。日中にカーテンが閉められた不自然な暗さ。部屋一面に敷き詰められた布団。そして寝入っている子どもたち。当時の私は何を思ったのだろう。感情は伴わず、ただその光景が強烈に焼き付いている。祖母が「そんなに嫌ならやめれば良い」と言いい、結局、すぐに保育園はやめてしまった。

小学校にあがった頃には積極的に「嫌だ」という気持ちすら無かった。どこか居心地の悪さを感じつつ、集団の中では存在を消していた。いつも遠くから皆を眺めていて、自分はそこには居ないというような心象風景だった。

朝起きて小学校へ通った。朝起きて中学校に向かった。朝起きて高校へ、そして大学に身体を運んだ。なんとか会社に就職し、気がついたら20年近くが経っていた。ぼんやりと漫然と生きていても時は過ぎる。苦しいことも悲しいことも嬉しい事もあった気がするが、全て靄の中だ。

だが或る時、その靄の中に身を置く苦しさに気付いた。自分が苦しんでいることを認めざるを得なくなった。自分は温室育ちだと思っていたし、人にもそう言っていた。私は温室という名の牢獄に自らを閉じ込めていたのだ。

気がついてしまったら、もう見てみぬ振りは出来ない。自己認識という名の旅を始め、十数年が経つ。全く何も変わらないように見える自分自身と現実を嘆きながらも、何故か諦めることなく多くの人の力を借り、極々微かな、本当に微かな変化を積み重ねた。

そして靄が薄くなり、世界の鮮やかさを少しずつわかり始めたことを感じる。

今、望むのはささやかに“生活の細部まで薫り高い芸術で満たす”ことだ。

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