スティーブン・キングはなぜキューブリックの『シャイニング』を憎み、『ドクター・スリープ』を書いたのか。……そして、父になる。
「私の小説の世界に住んでいるような気分にさせてしまって、すみません」
スティーブン・キングは、コロナウィルスの世界的感染について、アメリカの公共放送NPRに出演して謝罪した。
キングが1978年に出版した『スタンド』は新種のインフルエンザ・ウィルスによって人類のほとんどが死滅した無政府社会を描いている。その他にも疫病を扱った作品が多い。
キングは病気に怯えて育った。小学一年生になった年、はしかから扁桃炎になり、さらにウィルスが菌が耳に入って重体化し、ほとんど学校に行けなかった。また、1961年にワクチンが開発されるまで、ポリオウィルスによる急性灰白髄炎が世界的に流行していた。母ルースは感染予防についてキングと兄デヴィッドを厳しくしつけた。
「ホラー作家として成功できたのは、四六時中怖がっている母親 に育てられたおかげだよ」
たとえば『IT』の「負け犬クラブ」のメンバー、エディは幼い頃に気管支炎を患ったため、過保護になった母親の影響で菌の感染を始め、あらゆるものに怯える少年だが、それはキング自身をモデルにしている。
少年キングにとって世界は恐怖だらけだった。「蜘蛛が怖かった。トイレに落ちるんじゃないかと怯えた。近所の年上の男の子たちが恐ろしかった」
キングはいつも最悪の事態を想像して悪夢を見た。母がいつも息子たちに「最悪の事態を想定しなさい」と言い聞かせたからだ。
キング母子にとって「最悪の事態」はすでに起こってしまっていた。
キングの父ドナルド・エドウィン・キングはメイン州の田舎町で電気掃除機のセールスマンとして働いていた。主婦の家を訪問し、性的なサービスもしていたという。
キングに父の記憶はない。彼が2歳の頃、父はいつものように「ちょっとタバコを買いに行ってくる」と言って家を出て、それきり帰らなかった。
母ネリー・ルース・キングは女手一つでスティーブンと兄のデヴィッドを育てた。当時、アメリカの田舎では、シングルマザーが二人の子どもを養える仕事を見つけるのは難しく、キングたちは親戚を頼って各地を転々して暮らした。親戚はどこもキング母子を歓迎しなかったからだ。転校してばかりのキングに友だちはできなかった。彼は孤独の中で読書に喜びを見出した。
父に捨てられる、という「最悪の事態」を物心付く前に経験してしまったキングは、常に最悪の事態を想像しては不安に怯えながら育った。しかし、彼を最も魅了したのは最悪の事態を描くホラー・コミックであり、映画であり、小説だった。
「最悪の事態を想像しておけば、それは起こらないと信じていた」とキングは言っている。それはいわば、おまじないのようなものだ。
キングはホラー・メディア論『死の舞踏』のなかで、人が好き好んで怖い映画を観に行くのは「最悪の事態」に備えようとする本能だと語っている。で、「最悪の事態」とは何か。
最悪の事態にはいろいろある。冬の間管理人をするホテルで昔、大量虐殺があったと知ったり、狂犬病のセントバーナードに襲われたり、牛乳配達人が無差別殺人鬼だったり……。それらは全部、「秩序の崩壊」という言葉に集約されるとキングは言う。日常に裂け目ができて、その土台は不安定で、いつ崩れてもおかしくなかったという事実がむき出しになること。「父親は子どもを愛し、守る」という日常の秩序がキングにとって嘘でしかなかったように。
だが、父がキングに遺していったのは不安だけではなかった。
キングの父はH・P・ラブクラフトをはじめ、さまざまなホラーやSFのペーパーバックや雑誌を置いていった。それに各雑誌からの採用不合格通知。父は小説家志望で、書いた原稿をいくつもの雑誌社に送ったが、「残念ながら掲載できません」という通知しか返ってこなかった。父は、その通知を全部、保存していた。
肝心の父の原稿は残っていなかった。母も読んだことはなかったが、夫が作家になりそこねた理由は知っていた。
「お父さんは忍耐が足りない人だったの。だから私たちを捨てたのよ」
その言葉はその後、ずっとキングの耳に響き続けた。
小説への興味、作家への夢は父からの遺伝だった。では、家族を捨てた性格まで引き継いでいるのでは? その考えはキングをずっと恐怖させ続けた。
キングは大学で英文学を学び、父と同じく作家を目指したが、在学中に恋人のタバサ(タビー)が子どもを身ごもった。産む以外の選択はなかった。彼女はカトリックだったし、アメリカで中絶が合法化されるのは、それより2年先の1973年だった。何よりもキングは絶対に父のように子どもを捨てないと誓っていた。
1971年1月、キングは長女ナオミの出産を控えたタビーと結婚した。結婚指輪は2つで19ドル95セントだった。大学を卒業したキングは高校の教師を得たが、年収はわずか6400ドルだったので、学校が休みの間、キングはクリーニング工場で働いた。同僚はプレス機で手を潰された。その恐怖はプレス機が意志を持って動き出す短編『人間圧搾機』に描かれている。
仕事の合間にキングは小説を書き、雑誌に送った。だが、父と同じく不採用通知がたまるばかりだった。次男ジョーが生まれたが、将来の展望は見えなかった。
「酒を飲む量が増えた。金曜日の夜にバーに行って、その週の家族の食費の半分を小便にしてしまった」
キングは「家族を愛していなかったわけではない」と自己弁護する。「妻と子どもを養い、守る以上の何も求めなかった。でも、その一方で、無性に腹が立って、突然の憎悪や怒りが噴き出すことが多かった。作家としてものにならない不能感と惨めさを感じるほど酒に逃げて、家族との関係が悪くなってもっと落ち込む。悪循環だった」
その怒りをタイプライターにぶつけて、とタビーは言った。キングは『キャリー』を書いた。母親に虐待され、学校でイジメられた少女がキングが住んでいたような田舎町を焼き尽くし、住民を皆殺しにする物語だ。
1974年に出版された『キャリー』はベストセラーになった。キングは専業の作家になる夢がかない、莫大な富を得た。地図を「えいやっ」と指差して、家族を連れてコロラド州ボウルダーに引っ越した。ロッキー山脈の麓の、風光明媚な町で、裕福な白人が多く住んでいる。
日々の生活に追われず、優雅に暮らしながら、好きなだけ小説が書ける、理想の生活を手に入れたのに、キング自身驚いたことに、彼の怒りは静まらなかった。
父に捨てられた人が自分を高く評価するのは難しいだろう。たとえ社会的に成功しても、親に望まれた子ではなかったという記憶は絶えず自分の足元を揺るがせる。
虐待された子どもは親になると子どもを虐待するという。キングの父は彼を殴ったりはしなかったが、わずか2歳の彼を貧困の中に放置して逃げた。
「おやじを見つけ出して、ぶん殴ってやりたいと思っていた」
その怒りは、自分の子どもに向けられた。
「自分の子どもにイライラした。子どもたちを掴んで、殴りたかった。実際にはしなかったが、そんな衝動にかられた罪悪感に苛まれた」
長男ジョーが3歳になったある日、キングが書いた小説の下書きにクレヨンで何かを書いた。父の真似をしたのだろう。だが、キングの心に浮かんだ言葉はこうだった。
「このガキ、殺してやる」
キングは自分の中に浮かんだ我が子に対する殺意に衝撃を受け、苦悩した。父のように子どもを捨てはしないと誓ったのに……。
キングは、例の“まじない”を思い出した。
「最悪の事態を想像すれば、それは起こらない」。
そして『シャイニング』を書き始めた。
主人公ジャックは高校の教師をしながら作家を目指していたが、怒りをコントロールできず、生徒を殴ってクビになる。また、自分の息子ダニーが幼い頃、書きかけの原稿を汚したのに腹を立て、その腕をつかんで骨折させてしまう。それはキングの心の中で起こったことの告白だ。
「“小説に書けば、それは起こらない”。そういう“まじない”なんだ」キングは言う。
ジャックの怒りの原因は後半に判明する。彼の父がそうだった。父はいつも怒りを撒き散らし、妻や子どもに暴力をふるった。父に殴られたジャックはおとなしくなるかわりに逆にさらに激しい怒りを燃やし、暴力的になった。ジャックはいつも何かに怒っていた。
キングは『シャイニング』を書くにあたって幽霊屋敷小説の古典であるシャーリー・ジャクスンの『丘の屋敷』を参考にしたという。『死の舞踏』でキングは『丘の屋敷』を緻密に分析しているが、「実は丘の屋敷には幽霊などいなかったのかもしれない」と書いている。それはヒロインであるエレナーの「心を映す鏡」に過ぎなかったのではないか、と。
『シャイニング』もそうではないか。鏡に映されているのはキング自身だ。
キングはジャックの姿を借りて、もう一つの告白をしている。アルコール依存症だ。ジャックは酒を断っているが、その唇は常にアルコールを求めている。冬季休業中のホテルに住み込んで管理人をすることになったジャックは、そこに貯えられた酒の誘惑に勝てない。
そしてジャックがラジオを点けると、父の声が妻と子どもを殺せとささやく。
「――殺せ。あいつを殺すんだ。それからあの女も。なぜなら真の芸術家というものは耐えねばならんからだ。どんな男も、それぞれ愛する者を殺さねばならん」
キングは「『シャイニング』を書いている間、自分のことを書いている自覚はなかった」と言うが、本当だろうか。
『シャイニング』は1980年にスタンリー・キューブリック監督によって映画化されたが、キングは「エンジンのないキャディラックだ」と激しく批判した。特にジャックを演じるジャック・ニコルソンが、最初から邪悪な笑みを浮かべており、幽霊に出会う前から凶悪な人物にしか見えないことに強く反発した。「ジャックは根はいい人なんだ」と。
なぜならばジャックはキング自身だから。
『シャイニング』を書いた後も、キングのアルコール中毒は悪化する一方だった。バーに行けばビールを一気に6本飲み干した。息子の一人がリトル・リーグで野球をしていた頃、スタンドで紙袋に隠したビールを飲んでいたら、コーチがやってきて「酒を飲むなら出ていってくれ」と言って彼を追い出した。
さらに小説が映画化され、ハリウッドに行き来するようになると、手に入った金で高価なコカインを吸うことを覚えた。
81年にキングは『クジョー』を出版したが、コカインでハイになって書き上げたので、書いたこと自体、ほとんど記憶にないと言う。
クジョーという名のセントバーナードが狂犬病に感染し、幼い息子を抱えた母親を襲う、母子は自動車の中に籠城するが、炎天下で車内の温度は上昇し、窓が開けられないまま、息子は脱水して死んでしまう。何の救いもない結末に読者は愕然とする。
幼い子供を持った親なら、その子の命のあまりの儚さに慄いたことがあるだろう。子どもはちょっとした間違いで死んでしまう。そんな子どもを抱いていると、まるで崖っぷちに立っているような感覚に襲われる。
その崖っぷちから、キングは身を投げるのを妄想する。自らの奥深くに秘めた暗い欲望を覗き込む。
キングの暗い欲望は、83年に発表した『ペット・セマタリー』の、なんと1ページ目で告白されている。
主人公のルイスは「3歳で父を失った」医師。メイン州の田舎町の大学に就職し、シカゴから妻子を乗せて車でやってきた。新居に近づくにしたがって、ルイスの頭にある考えが浮かぶ。
「どこかで食事をしよう」と言って、車から家族を降ろしたところで、いきなりアクセルを踏み込み、フロリダにまで逃げて、ディズニーワールドに就職する。そんな自分を夢見る。そこでキングはルイスの家族を「足枷」と表現している。
その頃、テレビ局の調査によって、キングの父は別の土地で別の家族を持ち、1980年に他界したことがわかった。この『ペット・セマタリー』冒頭のルイスの妄想は、失踪した父の心理をキングなりに理解したものかもしれない。
ルイスは家族を捨てる妄想を振り払うものの、ずっと子どもたちに苛ついている。長女のエリーはハチに刺されて泣き叫び、まだ歩き始めたばかりのゲージはゲロを吐き散らかす。
『ペット・セマタリー』は、キングの三男オーウェンがよちよち歩きで道路に飛び出して車に轢かれそうになった経験を元に書いた小説で、実際は危うくオーウェンを捕まえることができたが、もし、あの時、止めそこなったら? もし、一瞬でも躊躇していたら?
『ペット・セマタリー』のクリスはゲージが道路に飛び出すのを止められなかった。ゲージはトラックに轢かれ、クリスは息子を捨てようと考えた自分を責めるように、ゲージを蘇らせる危険な賭けに出る。
『シャイニング』も、『ペット・セマタリー』も、家族からの自由を妄想した父親が罰せられる物語だ。この頃、キングの妻タビーは、家族や友人が自宅にいる時、彼らの目の前で、キングが隠し持っていた様々なドラッグや薬物を探し出して床にぶち撒けた。そして、中毒を治療しないと離婚すると迫った。
それでキングはやっとAA(アルコール・アノニマス)に通い始め、自分のトラウマと向き合って、中毒を克服した。しかしAAの体験についてキングは長い間、公に語らなかった。
2013年に『ドクター・スリープ』を書くまで。
何年経とうとキングはキューブリックの『シャイニング』に怒り続けていた。「エンジンのないキャディラック」と呼んで。
エンジンとは何か?
愛だ。
原作と映画版が最も違うのは結末で、原作では悪霊に取り憑かれて息子ダニーを殺そうとしたジャックが一瞬我に帰って「ここから逃げるんだ」と息子に呼びかける。
「そして、忘れないでくれ。パパがどれだけお前を愛しているかを」
それはキングの心の叫びだった。それをキューブリックはカットし、ジャックをただの暴力夫として描いた。だからキングはキューブリック版をどうしても許すことができなかった。
キングは1997年には自らプロデュースして『シャイニング』をテレビ・シリーズ化けしている。ただ、ジャックに「お前を愛している」と言わせるだけのために。
だが、それでもキングの気持ちは収まらなかった。この物語に決着をつけなくては、という思いが常にあったという。父親ジャックに殺されそうになった息子ダニーはその後どうしているのか、キングは考えるようになった。なぜなら、ダニーもまた、父親に捨てられたキング自身だから。
『シャイニング』から36年後に書かれた続編『ドクター・スリープ』は40代に入ったダニーが主人公だ。彼はシャイニングと呼ばれる超能力で人の心を読んだり、未来を予知することができるが、40歳を越えてもシャイニングを使わないできた。というのは、ダニーは父ジャックに殺されそうになったトラウマを克服することができず、アルコールとドラッグに溺れ、シャイニングを麻痺させてしまったのだ。
酒場で無意味なケンカをふっかけ、ゆきずりの女性とセックスする無頼の日々を送っていたダニーが立ち直るきっかけは、36歳になる息子オーウェン、『ペット・セマタリー』のよちよち歩きのゲージのモデルになったオーウェンがヒントをくれたという。
『ドクター・スリープ』の下書きを読んだオーウェンは世界的ベストセラー作家である父に「足りないものがあるね」と言った。『シャイニング』でジャックが酒酔い運転で自転車に乗った子どもをはねてしまって酒を絶とうと決心するようなシーン、人生のドン底を打つシーンが必要だと。そこでキングは、こんなシーンを『ドクター・スリープ』の冒頭に置いた。
ダニーが未成年のような女性と一晩限りのセックスをして、翌朝、酒とドラッグの二日酔いで目覚め、彼女の財布から金を盗んで逃げようとすると、一歳半くらいの、よちよち歩きの男の子が現れる。その子は天使のようにダニーを目覚めさせる。
ダニーはAAに通い始め、ホスピスに就職する。そして、患者の死期を感じて、彼らの最期の言葉を聞き、安らかに眠らせる「ドクター・スリープ」になる。
最後にダニーはシャイニングを駆使して凶悪な敵と対決する。場所は、父と共に滅んだあのホテル。最後にダニーは父と和解する。
2019年に作られた『ドクター・スリープ』の映画版は、原作版『シャイニング』ではなく、キューブリックの映画版『シャイニング』の続編として作られている。だから、原作になく映画版にだけ登場する双子の少女も登場するし、原作では全焼したはずのホテルも残っている。だが、結末だけは『シャイニング』の原作版のそれをなぞっている。『ドクター・スリープ』の監督、マイク・フラナガンは「キング版とキューブリック版という別れた両親を仲直りさせるような映画化だった」と語っている。
キングと父と『シャイニング』の長い葛藤に筆者は強く惹かれてきた。
1999年、筆者はキングが『シャイニング』を書いたコロラド州ボウルダーにいた。サラリーマンを辞めて、アメリカに移住して、物書きとして食っていこうとした。現地の企業で働く妻に頼って暮らし、娘も生まれたが、物書きとしての仕事は増えなかった。娘をあやしながら、アパートの窓から見える奇妙な岩山、ボウルダー名物フラットアイアンを眺めるだけの日々が続いた。
その日も、娘のおむつを替えながらテレビを見ていたら、ブラウン管に、フラットアイアンが映った。キング版『シャイニング』が再放送されていたのだ。
ボウルダーで物書きになれなくて苦しむジャックは自分自身に思えた。
筆者の父も家庭を大事にしない親だった。あちこちに女がいて、家にはほとんど帰らなかった。父兄参観など来たこともなかった。いつも夫婦喧嘩がたえず、筆者が中学生の時に父は離婚してどこかに行ってしまった。その後、養育費も振り込まず、どこでどうしているのかも知らなかった。筆者が結婚した時も何も連絡はなかった。
物書きとしてなんとか飯が食えるようになったある日、父の現在の奥さんから連絡があった。ガンで余命幾ばくもないから会いたいと言っているというのだ。
日本に行って、30年ぶりに再会した。アメリカに住んでいると言うと、父はうれしそうにジョン・フォードの映画の話をし始めた。そう、子供の頃、父はたまに家に帰っても、どこで何をしていたかは話さず、自分が観た映画の話しかしなかった。その話はいつも、ものすごく面白くてワクワクさせられた。父は映画語りの天才だった。
一緒にいてもキャッチボールもしてくれないし、遊園地にも連れてってくれなかった。
いつも映画だった。
外にいて30分でも時間が空くといきなり、近くの映画館に入り、上映の途中から映画を観て、途中で退出することも多かった。家にいても映画が放送されていれば、必ず映画を観ていた。
父との思い出は映画ばかりだった。今の自分があるのは自分を捨てた父のせいだった。キングもそう思っただろう。
父はそのひと月後に永遠の眠りについた。最期を看取った奥さんによると、父が死の床で最後に呼んだのは筆者の名前だったという。
(キングの発言はLisa Rogak著 Hauted Heart:The Life and Times of Stephen Kingからの引用です)
季刊『KOTOBA』スティーブン・キング特集より