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『名もなき生涯』アウグスト・ディール、ヴァレリー・パフナ― インタビュー 「何が正しいか、何が間違っているかわからなくなった時、僕たちは言葉を探すのではなく、ただ静寂のなかで、自分の心の奥深くに降りていくべきです。そこで子どもの頃からずっと持っている純粋な気持ちに触れられるから」

『名もなき生涯』A Hidden Life 2019年 テレンス・マリック監督

『名もなき生涯』は、ナチス・ドイツに併合されたオーストリアで、ヒットラーに忠誠を誓わず、戦争を拒否し続けたため、36歳で処刑されたフランツ・イェガーシュテッターとその妻フランチスカの愛を描いた実録映画。
 監督のテレンス・マリックは『天国の日々』(78年)、『ツリー・オブ・ライフ』(11年)など映画史に残る傑作で知られるが、極めて寡作で、マスコミの取材にも映画祭にも一切登場しない。
「謎に満ちた監督なので気難しい人だと思われているかもしれませんが、ものすごく謙虚で礼儀正しくて好奇心旺盛な人でした」
『名も無き生涯』でフランツを演じるオーギュスト・ディールは言う。
「最初は電話で話しましたが、1時間くらい、僕の生まれ育ちや、これまでの人生、僕の考え方について質問されました。その問いかけは撮影中も続きましたね。マリック監督はまるで開いたドアのように、僕らの考えを取り入れて、バンドが曲を作るように、一緒に一つの映画を作るんだと言っていました」
 ロケはフランツとフレンチスカが実際に農業をしていたアルプスの高地で6週間にわたって行われた。その撮影は、ディールによると「今まで参加した、どんな映画の現場とも違ってました」という。
「最初の2週間はシナリオを使っていましたが、その後、シナリオを使うのをやめちゃったんですよ。僕らは状況設定だけ決められて、あとはただ農民として生活しました。僕らはフランツとフランチスカを“演じた”のではなく、彼らとして“生きて”、それをただ撮影したんです。演出の指示がまったくないことも多くて、何をすればいいのかわからない、それすらも面白い体験でした」
 テレンス・マリックはいつも照明を使わず、自然光だけで撮影する。フランチスカを演じたヴァレリー・パフナーも「機材は手持ちカメラだけでした」と言う。「照明もケーブルがないから、何をしようと、どこに行こうとカメラが黙って追いかけてくれました。20分くらいもう好き勝手に動きました」
 自然光だけで撮られたアルプスの風景は、雲の上にあるせいで、まるで天国のように美しい。そこでフランツとフランチスカは畑仕事をしながら、可愛い子どもたちを育てる。絵に描いたような幸福そのものだ。
「僕は子どもの頃、南フランスの田舎で育ったんですよ」ディールは言う。「ヴァレリーも田舎で育ったんですよね。羊や山羊も飼ってました。だから、この撮影は子どもの頃に戻ったみたいで楽しかった」
だが、楽しいだけではない。80年前の農作業を再現しなければならない。畑を耕し、種を撒き、水を運び、収穫するのをすべて人力で行うのだ。
「毎日毎日、畑仕事でした。もう腰が痛くて痛くて演技なんて忘れて土と格闘してました」パフナーは言う。

「でも、それが良かったと思いますよ。辛そうにしてるのは演技じゃなくて本当に辛いんです」
「僕は映画に出る時、いつでも、演じる人物のライフスタイルに近い生活をするようにしています」というディールも「今回のように生活習慣を完全にフランツに合わせたのは初めてです」と言う。「いつも食べている食事とは違う、当時の農家で食べていたような質素な食事をとり、夜は日暮れと共に寝て、朝は夜明けと共に起きました。監督のカットの合図で素の僕自身に戻ることもなく、朝から晩までずっとフランツのままなんです」
しかし、毎日農作業で、しかも標高が高く、酸素が薄いので、疲れ果てたディールは撮影中にとうとう眠りこけてしまった。「はっと目が覚めた僕をカメラが撮影し続けてました。それも映画に使われてました」
「出来上がった作品を観ると、私たちのアイデアや即興や自然な笑いが全部使われていました」パフナーは「まさに共同作業でした」と言う。
そんな幸福なイェーガーシュテッター一家に戦争の影が忍び寄る。彼らの村もナチスに傾倒していくが、ナチスがしていることは、フランツが信仰するキリストの教えとはまったく相容れないものだった。「ハイル、ヒットラー」の敬礼をしない彼は次第に村八分にされ、ついには逮捕され、ナチスに忠誠を誓うよう拷問され続ける。
「撮影は時系列どおりに行われました。最初はアルプスの上で幸福な家族生活を撮って、その後、刑務所で2週間です。撮影の間、食事の量をだんだん減らしていきました。獄中のシーン撮影時にはほとんど食べ物を口にしていません。それで体重を減らして、やつれていくフランツを追体験することができました」
 フランツ・イェーガーシュテッターが処刑されたことは、当時、誰にも知られていなかった。名もなき農夫でしかなかったからだ。だが、戦後、彼と妻が交わした手紙が出版されて、ナチに抵抗した勇気ある人物として知られるようになった。その手紙の朗読がナレーションとして『名も無き生涯』全編に流れる。だが、演技の中でのセリフはほとんどない。フランツがナチに決して屈しないと決意して、つまり死を覚悟して、妻と子どもを残して村を出るときも、フランチスカとの間に議論はない。フランツの決意を、フランチスカは黙って受け入れる。
「セリフはいらないんです」パフナーは言う。「フランツもフランチスカもただの貧しい農民です。それが教養ある人たちみたいに議論したらおかしいでしょう? 彼らがナチスに反対したのは、政治や思想ではなく、“気持ち”なんです。ただ、間違ってると感じたんです。フランツとフランチスカはその気持ちを分かち合っているんです。二人の絆もあまりにも深く純粋で、言葉を交わす必要はありません」
 パフナーがこの映画でいちばん好きなのは、獄中のフランツにフランチスカがやっと会える場面だそうだ。

「それは二人にとって最後の瞬間で、もう二度と会えないのに、二人は泣いたり叫んだりせず、ただ静かに黙ってお互いを見つめて微笑むだけです。二人の絆は、崇高ですらあります」
 実はフランツは若い頃、かなりの不良だった。この映画でも当時珍しかったバイクに乗って登場する。しかし、信心深いフランチスカと恋に落ちて回心し、共に神を深く信仰するようになった。新婚旅行はバイクでバチカンまで行っている。フランツは現在、バチカンから正式に「殉教者」に認定されている。テレンス・マリックも常に映画で神を表現してきた。自然光でしか撮らないのは、太陽の光は神の光だからだ。
 ディール自身は私は熱心なキリスト教徒ではないという。

「撮影の間は、毎晩、聖書を読んで、信仰のなかに入り、フランツの心に入っていきましたけど。ただ、僕は、これはキリスト教徒だけのための映画ではないと思っています。もっと個人的な、私たちそれぞれの中にある“静寂”についての映画です」
 ディールもパフナーと同じく、セリフがないこと、言葉がないことが、この映画にとって重要だと考えている。
「何が正しいか、何が間違っているかわからなくなった時、僕たちは言葉を探すのではなく、ただ静寂のなかで、自分の心の奥深くに降りていくべきです。そこで、子どもの頃からずっと持っている純粋な気持ちに触れられるから。何が正しくて何が過ちなのか、それを判断する純粋な気持ちは、この地球にいるすべての子どもたちが持っています。日本でもドイツでもアメリカでも、子どもたちは何が正しくて何が間違っているかわかっています。誰でもです。でも、私たちは、成長して大人になるに従って周りから聞かされる様々な情報や意見によって混乱して何が正しいか見えなくなってしまいます。だから、耳と口を閉じて、自分自身の心の奥深くに降りなくては。フランツはそれをしたんです」
 しかし、スマホやインターネットの時代に、静寂と沈黙は最も難しいことだ。
「そう、世界はますます騒がしくなっています。世界中の人々がスマホを使い、自分の気持ちを持つことが難しくなっています。だからこそ、この映画はとても重要だと思います。なぜなら静かな場所、名も無き生活こそが実際に世界を変えるのを描いているからです」
 自ら決して何も語らず、隠遁生活を続けるテレンス・マリック監督は、『名も無き生涯』にそれを語らせているのだろう。(初出『FLIX』)