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三船敏郎、最後のサムライ

『MIFUNE:THE LAST SAMURAI』2016年 監督スティーヴン・オカザキ

 筆者はカリフォルニア州のバークレーという街に、8年ほど住んでいる。食料品の買い物は、歩いて5分ほどの「トーキョー・フィッシュ」に行く。そこは1963年から続いている日系食料品店で、壁には色あせたビールのポスターが貼られている。
「男は黙ってサッポロ・ビール」
 毛筆で荒々しく書かれた文字。日焼けした、たくましい男がうまそうにビールを飲んでいる。三船敏郎だ。 

  1962年生まれの筆者にとって、最初の三船敏郎の記憶は、8歳の頃(1970年)に放送されたサッポロ・ビールのCMだった(クリエイターは今村昭。石上三登志の名で映画評論家としても活躍し、映画秘宝創刊時に筆者もお世話になった)。
 そのCMで三船は大洋を進む船のデッキでビールを飲んでいた。大海原は「世界のミフネ」のイメージと、筆者の中で強く結びついた。
「三船さんは、ひと言でいえば、海のような人です。とっても広くて」
 スティーヴン・オカザキ監督のドキュメンタリー映画『MIFUNE:THE LAST SAMURAI』で、三船の共演者だった司葉子は迷いもなくそう言い切る。
  ただ、三船敏郎という海は大きいだけではない。荒れることもある。そして深い。その三船という大海を『MIFUNE:THE LAST SAMURAI』は翻弄されながら探っていく。
 チャンバラ映画の歴史から始まる。映画評論家佐藤忠男が、映画監督 中島貞夫が、侍とは何かを語る。伊藤大輔監督の『幕末剣史・長恨』 (1926年)のクライマックス、大河内伝次郎がたった一人で、数十人の捕り方たちに囲まれ、絶望的な状況で、刺され、斬られながらも、 決して屈することなく戦い続ける。
 この部分は一見、三船敏郎と何の関係もないように見える。 だが、スティーヴン・オカザキは三船敏郎を、百年ほど遅く生まれてしまった侍、孤高の侍として、このドキュメンタリーをまとめようとしている。
 世界のミフネは広大なユーラシア大陸に生まれ、育った。日本の植民地だった中国の大連で写真写館を営んでいた父の撮影による三船敏郎の幼少時の写真を見ると、年齢と不釣り合いな眼力に驚かされる。その眼差しは、椿三十郎の、赤ひげの、言葉を越えて人類に語りかけた、あの「世界のミフネ」の眼差しなのだ。
 三船は第二次世界大戦で兵役にとられ、幾人もの兵士の特攻を見送り、 戦火の中で両親を失った。
 戦争は終わり、支給された軍隊毛布以外に何も持たないまま、25歳の三船敏郎は敗戦の焼け野原に放り出される。 彼はその毛布を自分で裁断して縫ってコートにした。そのコートは今もご子息によって保存され、この映画にも登場する。その丁寧な仕立てを見よ。
 三船敏郎といえば、マーティン・ スコセッシから「ライオンのよう」と言われるほど野性的でぶっきらぼうなイメー ジだが、そのコートは彼が隠した器用さ、繊細さの証拠だ。写真家の息子で、カメラマン志望だった彼は、もともと職人でアーティスト的だった。
 三船と共に黒澤明映画の常連だった土屋嘉男は「三船さんは努力を決し て人に見せないんです」と語る。実際、三船はノートにものすご く細密な演技プランを書き込んでいたといわれる。役所広司も「三船さんはものすごく勉強したと思う」と言う。
「でも、力メラの前でそれを全部忘れて演じるんです」
 事前にキャラクターを完全に己の中に内面化したうえで、そのキャラクターになりきって自由気ままに振る舞う。その演技はメソッド・アクティングに近く、「型」を重視する日本の伝統的な芝居とは異質で、まさに「型破り」だった。
 スコセッシは「三船は感情を視覚的 に表現する」と言い、スピルバーグは「人形ではない」と言う。だから コントロール・フリークの黒澤明も、三船敏郎にだけは決して演技指導せず、自由に演じさせた。
 ただ、黒澤は志村喬に、両親のいない三船の面倒を見るよう頼んだという。 『静かなる決闘』で三船は志村の息子、『野良犬』で三船は志村の後輩 刑事、『七人の侍』で三船は志村に憧れる若者を演じ、その間、三船は 志村宅に居候していた。志村夫人も三船から母のように慕われ、その 関係は三船の死まで続いたという。
 では黒澤明と三船の関係は?
 黒澤は『蜘蝶巣城』で、三船に向かって本物の矢を射させた。ギ リギリのところを狙わせたとはいえ、わずかにズレたら死ぬかもしれ ない。後で三船は黒澤の仕打ちに怒ったともいう。
 だが、そんな危険な撮影を承諾してしまったのは、三船の黒澤に対する「忠義」だと野上照代は評する。黒津はサムライ三船にとって主君だったのだ。 ところが、『赤ひげ』(1965年)を最後に黒澤は三船を使わなく なる。『用心棒』『椿三十郎』の三船は浪人だったが、彼自身が本当に主君を失ってしまったのだ。
「浪人は自分自身の正義に従うしかない」
 スコセッシは言う。三船 は三船プロダクションを率いて、一国一城の主となる。しかし、時代劇 と映画産業の衰退に苦しめられていく。 土屋嘉男は三船敏郎を「我慢の人だ」と評する。しかし、ストイックに 押さえつけている分、時に爆発する。酒に酔っての失態が、少しずつ世間 に知られるようになる。
「三船の趣味は車と酒。しばし、それを同時に楽しんだ」というナレ ーションと共にクラッシュしたダッジの写真が映るのがおかしい。
  三船プ口の分裂と、離婚騒動は筆者もリアルタイムで知っている。三船は『蜘蝶巣城』の結末のように、ワイドショーや週刊誌から矢を浴 び続けた。しかし、三船自身はそれに黙って耐え続けていたように思う。 映画は、香川京子が朗読する黒澤明が三船に捧げた弔辞で幕を閉じ る。
「僕たちは共に日本の映画の黄金時代を作ってきたのです」
 その黄金時代にサムライ三船は殉じたのだ。
 今、この映画を観ると、涙が込み上げて困る。土屋嘉男も、夏木陽介も、加藤武も、中島春雄も、今はもういない。時はなん と残酷なのか。
 今日も、トーキョー・フィッシュの48年前のポスターで、世界の三船は 黙ってビールを飲んでいるけれど。(初出『MIFUNE:THE LAST SAMURAI』劇場用パンフレット。敬称略)