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太田愛、『ウルトラマンダイナ』から『相棒』、そして『天上の葦』へと貫かれるもの

   太田愛が脚本家としてのキャリアを、円谷プロのウルトラマン・シリーズから始めたのは重要だと思う。

   筆者が脚本家、太田愛に注目したのは、『ウルトラマンダイナ』の「少年宇宙人」からだ。

  10歳の男の子さとるが、ある日、突然、自分たち親子はラセスタ星人なのだと告げられる。危機に瀕したラセスタ星から脱出した人々は宇宙全体に散らばり、難民として各惑星に住み着いた。

 「少年宇宙人」は、スーパーマンことクラーク・ケントの出自、および、その元になったユダヤ人のディアスポラをヒントにしたと思われるが、自分にとって、さとるは他人に思えなかった。自分は、日本人の母と韓国人の父の間に生まれた子どもだったからだ。
 自分にもさとるのように、自分が他の子とは違うのだと自覚させられる瞬間があった。その時の、胸に突き刺さるような疎外感、孤独感が蘇ってきた。

    しかし、「少年宇宙人」で涙があふれたのは、その後の展開だ。

   さとるは決別を覚悟して二人の親友に、自分がラセスタ星人だと告白する。ところが親友たちは怯えたり、嫌がることなく、さとるを迫害から守ろうとする。たとえ異星人だろうと永遠に友だちなんだと。

     ウルトラマン・シリーズは、怪獣や宇宙人をただ撃退するだけの物語ではなかった。多くの場合、怪獣たちは人間の被害者だった。太田愛は書き始めた頃から、それに自覚的だった。

  たとえば『ウルトラマンティガ』「ゼルダポイントの攻防」では、ゼルダガスという次世代エネルギーの事故による爆発でペットのインコが怪獣化する。ゼルダガス爆発地点が立ち入り禁止の危険領域に指定されている描写は、福島の原発事故を予言したかのようだ。

    時にウルトラマン・シリーズの怪獣は人間だ。オリジナルの 『ウルトラマン』の「故郷は地球」というエピソードでは、ロケットで水のない惑星に不時着し、救助されずに見捨てられたフランスの宇宙飛行士ジャミラが怪獣となって復讐しに地球に戻って来る。ジャミラという名前はフランスからの独立を戦ったアルジェリアの実在の女性革命家から取られている。
 人は人として扱われなければ怪獣になる。
 そのコンセプトを犯罪ドラマにしたのが、円谷プロの『怪奇大作戦』だった。人や世間を怨んだ者たちが科学の力を借りて復讐する。

 『怪奇大作戦』のファンだったという太田愛も、怪獣ものから犯罪ドラマへと仕事の場を移した。『相棒』への参加である。そこでも、怪獣を「声無き者たち」として描き続けた太田愛の眼差しは一貫しながらも、さらに具体的な日本の現実とリンクさせるようになった。

『相棒 劇場版Ⅳ 首都クライシス 人質は50万人! 特命係 最後の決断』(2017年)で、主人公の特命課刑事杉下右京たちは、「世界スポーツ競技会」のパレードへの無差別テロを防ごうとする。その犯人は過去に政府が推進した「満蒙開拓団」の子どもだったが、戦火が迫った時、軍に置き去りにされたため、戦場の中で家族を失いながら生き延びた男だったことが明らかになる。「国の誇り」をかけた東京オリンピックのようなイベントにテロを仕掛ける彼は、国に見捨てられ、国際会議に襲いかかったジャミラを思わせる。また、「満蒙開拓団」は、戦前の政府が中国北部に「満州開拓団」として国民を入植させながら、軍だけ撤退して民間人を置き去りにした事実をモデルにしているの。

    また『相棒15』の「声無き者」二部作は、幼女を拉致して立て籠もる事件で始まる。実は犯人は幼女の実の兄で、二人は家庭内暴力を振るう父親から逃げ出したことがわかってくる。彼らは、DVから逃げた妻や子どもを無理やり夫の元に引き戻す闇仕事に追われていた。さらに、その背後に「健全な家庭を守る会」が浮かび上がる。「国家の繁栄を支えるのは健全な家庭である」との思想のもと、家父長主義を現代に蘇らせようとしている団体で、「官公庁にも会員が多い」という。
 これはどうしても「日本会議」を連想させる。離婚などについて「個人の尊厳」と「両性平等」を明記する憲法28条に反対し、戦前の家族制度の復活を訴えている団体である。その政治家組織「日本会議国会議員懇談会」には安倍晋三、麻生太郎、稲田朋美などが名を連ねている。

   『天上の葦』は、『犯罪者』『幻夏』に続く、鑓水、相馬、修司のトリオによるシリーズ三作目。渋谷のスクランブル交差点の真ん中で老人が天を指差して絶命するシーンで始まる、その老人のダイイング・メッセージの意味を探るミステリーだ。

   その老人が第二次大戦中、大本営で報道を検閲していた事実が判明してから、物語はいっきに加速し、戦時中のようなメディア対する政府の圧力が増している現実と絡み合っていく。

 太田愛は本書を書いた動機をインタビューで以下のように語っている。

「このところ急に世の中の空気が変わってきましたよね。特にメディアの世界では、政権政党から公平中立報道の要望書が出されたり、選挙前の政党に関する街頭インタビューがなくなったり。総務大臣がテレビ局に対して、電波停止を命じる可能性があると言及したこともありました。こういう状況は戦後ずっとなかったことで、確実に何か異変が起きている。これは今書かないと手遅れになるかもしれないと思いました」(ダヴィンチ2017/2/23)

 これは具体的には、2014年11月、自民党幹部が在京6局の報道局長あてに「選挙報道に公平中立、公正の確保」を求める文書を送ったこと、2015年4月に、自民党の情報通信戦略調査会が、NHKとテレビ朝日の幹部を呼びつけたこと、そして2017年2月8日に衆院予算委員会で、高市早苗総務大臣が、放送局が公平を欠く放送を繰り返したと判断した場合に、政府が電波停止を命じる可能性があると述べたことを意味している。

 事態は、『天上の葦』が上梓された2017年2月よりも悪化している。政府を批判するキャスターは次々と番組から消える。総理の御用記者にレイプされた女性が告発してもテレビは報道しない。選挙期間中、テレビは野党候補の街宣活動は放送しないが、与党のCMを垂れ流す。内閣に人事権を握られたNHKが政府の報道機関と化していくのはもちろん、テレビ朝日ですら早河会長と安倍総理が会食して、頭を押さえられてしまっている。日韓関係悪化においてテレビは嫌韓一色。この翼賛的メディア支配のまま、政府はオリンピック、そして改憲を成し遂げようとしている。

 しかし、報道は政府に殺されるのではなく、自ら忖度し、権力の意向を「察して動く」うちに死ぬのだと『天上の葦』は語る。

    戦前、 軍を批判した新聞は右翼に脅迫され、不買運動を起こされた。大新聞は屈服し、軍を支持し、協力した。軍は新聞に情報を流したので、購読者が飛躍的に伸びた。利益のため、検閲と戦う記者はいなくなった。やがて軍と政府は一体化し、報道を規制する法を作り、「気がついた時には、新聞は報道機関としての息の根を止められて、国の宣伝機関になっていた」。

  これは最近、メディア先進国であるはずのアメリカでも起きた。2003年、ブッシュ政権がイラクが「大量破壊兵器」を所有しているという理由で戦争を仕掛けた。戦争を支持したFOXニュース・チャンネルは政府から特権的に優遇された戦争報道で視聴率を伸ばして業界一位だったCNNを抜き去った。しかし実際は大量破壊兵器など、どこにもなかったのだ。

 戦争という大火になる前に、あちこちで燃え始めた火がまだ小さいうちに消していかなければ。そんな切実な思いが作者に『天上の葦』を書かせたのだ。

  文中に登場する、渋谷のケーブルカーの話は筆者も母親から聞いたことがある。運行されたのは51年から53年までのわずかな期間で、乗れたのは子どもだけだったそうだ。

『天上の葦』という書名について、本文中に詳しい説明はない。ただ、太田愛は巻頭に、英国の詩人ウィリアム・ブレイクの「無垢の歌」の序文を引用している。こんな内容だ。

 ――私が笛を吹きながら野原を歩いていると、雲の上に一人の子どもが見えた。(ブレイク自身の挿画を見ると、雲の上に浮かぶ子どもは天使のように描かれている)。

 その子は笑って私に言った。

「羊の歌を吹いてよ」

 私が楽しく吹くと、その子は喜びに涙を浮かべながら聴いた。

「笛吹きさん、座ってその歌を本に書いて。みんなが読めるように」

 そう言うと子どもは消えてしまった。

 私は中空の葦を摘み取り、素朴なペンにした――。

 ブレイクが天上で拾った葦のペンで書かれた童謡集が「無垢の歌」ということになっている。

『無垢の歌』が書かれた18世紀の英国には、子どもの人権という概念がなかった。そのため子どもを奴隷のように扱う、苛酷な児童労働がはびこっていた。その時、ブレイクは、子どもたちの代弁者として、親のない煙突掃除の子も黒人の子も、みんな自由に楽しく笑えるようにとの願いを詩にこめたのだ。

 太田愛も、葦のペンを心に持っているに違いない。
(初出:太田愛『天上の葦』角川文庫版解説。敬称略)