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流れに流れる移動社会

勤務先の事業所が今年移転するめ、移転先から最寄り駅まで歩けるか、確認をしに行った。これまでならそんな面倒なこと絶対しないのだが、足の悪くなった今、徒歩15~20分かかる距離を本当に歩けるのかは、深刻な問題だからだ。

このような身体的な側面から金銭的な面まで「自分の行きたいところへ移動できる自由」があること、「移動自由な社会」であることはかなりの幸せなことだ。

近年の【移住】の意味合いは「よりよい暮らしを求めて」「自分たちがより幸せになるために」住みたい地域に住むこと、すなわち「ライフスタイル移住」を指していることが多いが、移住の意味合いは時代によって変化してきた。
日本で言えばブラジル移民、また「金の卵」に象徴されるように地方から都市へ、「仕事を求めて」くることが移住であり移動、それ以前には農民や漁師など土地と密着した社会なら「移動する」ことが禁止されていたり概念もなかった。

移動する、移住するというのは、「束縛されず」「嫌なら逃げれる」という、かなりな「自由性」を持つ。
それがいまの「移住」の概念であろう。
だから、地域社会側も「衰退した地域を移住者がなんとかしてくれる」と過度に期待したり「定住ありき」で考えるときつくなってしまうであろう。
いまや土地に縛られることなく流れ流れる移動社会なのだ。

だからこそ、今後は移動してこなかった人、土地に根付いた方のリスペクトが高くなる。地域に根付き守り、風土をや文化大事にしてきた人たち。自分たちの生まれ育った町を愛して、衰退していくのが我慢ならずなんとか盛り上げようとしている方々。わたしは各方面でそんな方々に接してきて、この尊さをわかっているつもりだ。自分の尊敬するひとのベスト5に浮かんでくるのさ各地域で町を盛り上げようとしているひと。

私はこれまで自由を第一に求め、行きたい場所に行き、気になる地域があれば訪れてきた。ひとつ行けばまた違う行きたい場所ができ、果てしない、という感じだった。

しかし現在、足が悪くなったことで色々なことをあきらめるようになった。
行きたい場所はあるけれど、それより歩いて足が痛くなるほうがつらいので
自然と行きたいところも少なくなってしまった。
移動しない側になりつつある。

移住者を受け入れる地域社会も移住者側も、相互に影響される、リスペクトしあう関係性。
それが楽しそうにしている町だし豊かである。

そんな町が豊かな町が今地方に確実増えているのでその仕組みを研究していきたい。


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