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noteを更新することにした理由

TwitterがXになったのが、つい昨日のこと。
空を羽ばたく青い鳥は、無機質な「X」のロゴに置き換えられた。

かれこれ13年使い続けてきたTwitterはここ数年、どこか人々の感情の捌け口と化している。フォロワーもそれなりに増えれば、言葉の選び方ひとつ誤るだけで、どこからともなく匿名の風紀委員が正義と常識を突きつけてくるようになった。実名でやるもんじゃなかったな。時すでに遅し。

そろそろ辞め時かな、と思うことはこれまでも何度かあって、アカウントを消しては数日後に復活するという未練を繰り返しながら、結局いまでもTwitterを続けている。でもイーロン・マスクがTwitterを乗っ取り出した頃から、いよいよ離れなければとマジで考えるようになった。

旧TwitterにしてもXにしても会社組織だというのに、ひとりの独裁者が「ぼくのかんがえたさいきょうの〜」を好き勝手やれてしまうだけでヤバい香りが立ち込めるが、そのために僕らがかけがえないコンテンツを放出し続けるのはもっとヤバい。
影響力あるアカウントには報酬を与え始めたようだが、そんな恩恵が得られるのはごく一部のインフルエンサーだけで、残り99%にはエサとして「いいね」が与えられるだけだ。「いいね」の実感というのは恐ろしいことに、得られた直後でこそ麻薬のような快感を与えるものの、持続性はゼロである。もっともっとオクレニイサン!監視資本主義の奴隷サイクル。人類の歴史が繰り返してきた過ちを、ここでも私たちは実体験とともに目にしている。

TwitterがまだTwitterだった頃ですら、既にフォールアウトなはちゃめちゃディ◯ニーランドとなりつつあったのに、ついに幸せの青い鳥すら逃してしまったら、この先一体どうなると言うんだろう。「幸せはいつもそこにあるのに気づかない/欲しいものばかりだね」とは、近ごろ私が延々とループで聴いている羊文学の名曲『夜を越えて』の歌詞だが、要するにあのおっさんはTwitterをTwitterとして発展させるつもりなんてハナからなかった。メーテルリンクも雲の上で呆れているにちがいない。

マスクはTwitterを、決算システムなどを載せたスーパーアプリとしてこれから好き勝手に改造していくらしいが、あいにく「ぼくのかんがえたさいきょうの〜」が通用してしまう会社を信用はできない。驚くべきことに、彼はそうした自分の危うさの可能性を仮想通貨界隈ですでに見せつけている

というわけで、ダラダラと続けてきたTwitterからフェードアウトするために昨日からとつじょ始めたのが、このnoteということです。前置きが長い。
本当はもっと気軽な日記みたいなのを始めようと思っていましたが、なにせ私、日記というものを3日以上続けられた試しがないんですよね。どうしても文章を書いてしまうからだと思うんですけど。

YouTubeも更新しろよという声もどこからともなく聞こえてくるんですが、うちは最近、ひとつの机をカミさんと半分こずつ使っている関係で、彼女が仕事している間はYouTube収録できなくなっちゃいました。ま、ほかにも探せば「動画作れない」言い訳なんて色々あるんですけどね。すみません。

文章ならそうした環境でも影響なく続けられるかな、というのも、noteを選んでみた理由のひとつです。無料でもいいんですけど、割と個人的なことも含めて書こうと思っているので、一記事100円という設定でひとつ続けてみたいなと思っています。それでも読みたいというそこのあなたに向けて。

(本音としてはですね、「トモはかっこつけてなんでもタダでコンテンツ出しちゃうけど、時間かけてやってるんだから、ちゃんと稼ぐこともしてよね」とカミさんから散々言われておりまして……というわけで、どうかひとつお付き合いください)

最後まで読んで頂きありがとうございました。写真にまつわる話を書いています。楽しんで頂けましたらサポートしていただけると嬉しいです。