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「肉体はなくなっても、まもりたいものがある」

移植日も決定し、今は絶賛体力づくりと「トレーニング」としての食事摂取を強化しておる日々です。最初は10分くらいバイク漕ぐと心拍がすぐに140くらい上がってしまっておりましたが、最近では負荷を増やして20分漕いでも心拍が110-120といういわゆる理想的な「有酸素運動」の域で保てるようになり、パーソナルトレーナー(と言っても良い理学療法士さん)にも「いいですねえ。むっちゃいい感じです。」とお褒めの言葉をいただいております。
ほんとビックリするくらい元気な自分に(なんなら普通に仕事してそのあと飲みにいける勢いを感じる)、相変わらず「病気」しかも「重篤な病人である」というタグは全くそぐわないと思っていますが、、それぐらい生きる力が今、絶賛増していってるのだと良い方向に解釈したいと思っています。
そんな中、ちょっとスピ系の話ではありますが小噺。「そんなことあるかいな」と思う人は思うと思うのですが、割と自分の中ではmake senseだったので書いてみたいと思います。
私自身含め、うちの家族(主に父、ときどき母)はふわっとした霊感があると、、思われます。本人たちは自分含め「いやいや、ないない」と思っているのですが、いろいろといわゆるそれって霊感じゃん。ということがこれまでもあり、客観的に話を繋ぎ合わせるとやっぱりそれは、、霊感 ( or something : 第六感的な世界)だよね。と認めざるを得ない感じがあるのです。
母は私を産んだあと、夏の昼下がりに私をお昼寝させている窓の外に真っ白な(ちょっと月光仮面みたいな)衣装の人が立っているのを見たことがあります。この人は特段何か接触してくるわけではなく、ただ立っていたと。で、え?なに?と思ったら消えてしまった。以上なのですが、20年くらい経って私が大阪に住んでいた頃、深夜2時くらいにふとコンビニに行こうとした時、路地の向こうで同じ方に遭遇したのです。月光仮面みたいに本当に全身真っ白で、西城秀樹バリに長袖の下に長いフリンジがついている服を着ていて、両手を広げて楽しそうに踊っていました。母はこの通称月光仮面の話を昔からよくしていたので、その方を見た時もついに会えたというか。ああ、あの人か。みたいな感じでした。いづれにしても何か怖いという感じではなく、楽しそうだなっていう。そんな印象。
私は私で、、一番最初にそれらしい人を見たのは浪人生をしていた時でした。当時付き合っていた子と夜中に電話をしていて、その時もちょうど夏だったので部屋を暗くして、窓を開けていました。実家の前にはその地区を統括するまあまあ大きい警察署があって、実家の裏にその警官たちの寮がありました。なので普段から制服を着て行き来する警察官を見ていたのですが、その時見たのはそれもまた全身真っ白。そして警察の制服というよりは軍人さんの服のように見える方でした。うちの前をゆっくり真っ直ぐ歩いてきて、あ!と思った瞬間消えてしまいました。
次は初発で入院していた病室で2回。1度目は夜、窓際のベッドにかなり強い光が当たってくるのを感じて目を覚ましました。オレンジっぽい色の光で、レーザービームを100くらい束ねたやつが、遠いところからピンポイントで私に当てられていた。最初はパチンコ屋さんかなんかの演出なのかと思ったのですが、どう見ても真っ直ぐ、水平に当たっている。それが何だったのか分からないけど。宇宙人からの何かでないかということを後にそっち系の方に言われました。なんなら宇宙船乗れたのだろうか。
2度目はまた割と夜中に。どういうわけか目が覚めて窓の外をぼーっと見てたら、すっごくきれいな白くて丸い発光体が見えたのです。外灯とかよりちょっと大きいような光の球。あれ?外灯なんかあったっけ?(いやいや、あったとしてここ11階、ないよなー)って思っていたらその球が不意にすーーーーーっと上に上がっていきました。とてもエレガントな上がり方でうつくしかった。のちにそのことをとある方に聞いてみたら「それは亡くなった方の魂ですね」と言われました。なるほど。生前なにか徳の高い方はこんな風なエネルギー体になって召されていくのかと妙に納得したのを覚えています。そしてこれが私の中の「死の風景」の原点になっていくのですが、その話はまたするとして。
という前段の上で、最も「いわゆる具代的に見えちゃってんじゃん」に一番近いのがやはり父です。といっても有象無象の霊が見えるわけではなく、あくまで身内限定。
父の弟である叔父が結婚を決めた日。20年以上前に亡くなっている祖父が父の枕元に立ち「お前、頼むぞ」と言って消えたと、その結婚の話はまだ祖母にしか叔父は伝えていなかったので、翌日父が祖母に「あいつは結婚するんか?」と聞いたら「お前なんでそれを?」と祖母がびっくりしたというのを皮切りに。
今回移植のドナー選定を従兄弟を含めた血縁に広げなくてはいけないという話になる直前、結果的にドナーになることになる従兄弟の父である、2年前に他界した伯父と祖父が現れ「ともちゃん、大丈夫か?」と聞いてきたと。(ちなみに祖父は隣にいるだけだったようです)すかさず父は「大丈夫やないから、お前助けてくれ」と言ったら2人は消えていったらしいのですが、なんか妙にオオオーと納得。
前回も書きましたが、伯父は自分の子としては息子2人であったため、私のことを娘のようにかわいがってくれていました。祖父は私が生まれるより随分前に亡くなっているのですが、やはり男4人という息子衆であったため、娘が欲しかったとずっと言っていたと祖母がいっていました。
この祖父は占いなどにいくと必ず「あなたの守護霊としていつもそばにいらっしゃいます」と複数の方に言われるので、もともと私をずっとまもってくれていると思っているのですが、そこに伯父というあらたなサポーターを得たことに間違いないようです。
伯父さん本当にありがとう。肉体は無くなっても、守りたい気持ちは変わらないんだね。と。いかにも日本的死生観かも知れないけれど、実感としてその存在を強く感じた今日。生きているのと死んでいるのは、だからやっぱりあんまり変わらないんだよなあと改めて。このことはまた別に書きたいと思います。
祖父だけでなくもはや伯父も、そしてきっと祖母も。あちらの世界でいろいろと良きように支えてくれている。一族の総力戦がいよいよ開幕です。
※写真は多分3歳頃の私。昭和56年頃。右が伯父とドナーになる従兄弟。左は父。