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いろえんぴつ

やっと今日、年賀状を書いた。自分から先に出したものではなく、ことごとく、いただいた年賀状の「お返事」になってしまった。

既製品に文字を書くのには違和感があったので、せめて自分で無地の年賀はがきにトラの絵でも書こうと思ったが、サインペンも色鉛筆も持っていないことに気づいた。だから100円ショップで色鉛筆を買った。

こんなにかわいい色鉛筆が、100円で買えるなんて、日本はなんて幸せな国なんだろう。

でも、なんとなく私は、買いに行くまでもなく、家にはいつでも色えんぴつや絵の具や画用紙が手の届くとところにあるような気がしていた。それは、生まれ育った家がそうだったからだ。

親が小学校の図工の教師をしていたので、家には溢れんばかりの画材や道具があった。ほんとうに、様々な濃さの鉛筆がペン立てから溢れ出していたし、定規もカッターナイフも色々な大きさがあった。家に帰ると、それらを使ってひとりで遊んでいた。

小学校の友達の家に行った時、ハサミがないと言われて驚いたことがある。そのとき、「そうか、あんなにごちゃごちゃと色んな道具があるのは我が家くらいなのか」と気付いた。

あの頃、家に溢れていたものが、どのくらい私の人格形成に影響しているかは分からないし、その必要があったのかも分からない。だがとりあえず、年賀状にトラの絵は描けるようになった。雑だけど。

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