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引き出し

夕方、商店街に買い出しに行った帰りに、近所の公園に寄った。

滑り台やブランコのある一角は、3歳から5歳くらいの子供たちとその家族で賑わっている。私は彼らの姿を微笑ましく眺めながらも、変質者に思われることを恐れて、少し離れたところにあるベンチに腰掛けた。

さっきコンビニで買ったホットカフェラテを半分ぐらい飲んだところで、立ち上がって公園を出る。あれこれと考えごとをしながら歩いているうちに、以前、フジロックでルイス・コールのステージを初めて観た日のことを思い出した。

彼が1曲目に演奏したのは『F it up』という曲で、彼の曲の中でもYouTubeでの再生回数がダントツに多い印象的な曲である。それをセットリストの最初に持ってくるるなんて、こちらとしてはもう、盛り上がるしかない。

私は1曲目から飛ばしてくるルイス・コールの心意気と、画面越しに何度も観てきたあの曲を生で聴ける事実が嬉しくて、「本当に生きててよかった!」と思ったのだった。そして周りで狂喜乱舞している観客たちも、絶対にそうなのだと私は確信した。

あの時のことを思い出しながら、カフェラテを片手に夕暮れの横断歩道を渡る私は、ひとりでニヤけていた。記憶を呼び覚ますだけで、こんなにも幸せな気持ちになって、頬がゆるんでしまう。なんておめでたいのだろう。しかしそんな風に、思い出しただけで一瞬にして最高な気分になれる記憶の引き出しを持っているということは、すごく幸せなことなのだと思うのだ。

まず、すてきな記憶があるということ自体が幸せなのだが、それ好きなときに出し入れできるスペースと機能を自分の中に持っているということは、本当に幸せだ。ごきげんな記憶を簡単に取り出せる引き出し。それらがあれば、いつでも幸せな気分になれるのだ。

もしかしたらこの先、何か辛いことや、不安なことがあって、引き出しがつっかえて開きにくくなることがあるかもしれない。その引き出しを、いつでもスムーズに開けられるということが、私の心の健康のバロメーターになるのだと思う。

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