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書くにあたって

何故、私が書くと文章が暗くなるのだろう。世界はきっと誰の目の前にも平等に存在しているはずなのに、そこから汲み取るものが人によってこんなにも違うものなのか、と思う。

おそらく、私は普段から自然に思いつくことが軒並み暗い。目の前のものを見ているというより、それを引き金にして、心の中に隠れていた何かが引っ張り出される感じだ。

「何を書こうかな」と思って一生懸命に素材を探すより、ふいに思い出した過去の感覚を描写していく方が、私にとっては恐らくラクなのである。

実際のところ、すごく明るいものが書きたいかと問われると、そうでもない。しかし、単なる暗いものとか、悲しいものよりは、そうとも言い切れないようなものが書ければと思う。真っ黒というよりは灰色のような、真っ青というよりは水色のような。

私がライティングを初めて習ったとき。「せつない」をテーマに書くよう指示を受け、「せつない」という言葉を定義するような文章を書いて提出した私に、先生は「そうゆうことではなく、読者がそれを読んだときに『せつない』と思うような文章を書けばいいんです」と教えてくれた。それをきっかけに、どんどん書けるようになったのだ。

考えてみると「せつない」は絶妙な言葉だと思う。「暗い」や「悲しい」や「さみしい」よりも、曖昧な感情を含んでいて、きっと真っ黒よりは灰色だし、真っ青よりは水色に近い。

同じ方法を取るなら、今の私は「せつない」ではなく、何をテーマに書こうとするだろう。「ほろにがい」とか「はがゆい」とかだろうか。

それこそ、色や味を想起するように書くのも良いのかもしれない。初夏のプラタナスの葉の色とか、春の空の下で音楽を浴びながら飲んだシメイの味とか。少し考えてみようと思う。

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