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「正解」を誰かの中に探さないこと

考えてみると私は、「〇〇しなければならない」と思って長らく生きてきた。でもそれは、”真面目”とか“目標が高い“とか、そういう類のものではなくて、単に“怠惰“なだけだったのだと思う。

「とりあえず守っておけば、世間的に良さそうなもの」の枠から出ないようにしていただけで、自分の思考は完全に停止していた。それは、本当はありもしない「正解」を誰かの中に見出そうとする行為だったのだと思う。そして責任を、その誰かになすりつけようとしていたのだ。

自分の頭で考えるというのは、とてもエネルギーがいるし、辛いし、投げ出したくなる。でも、常に世界に「何故?」と問いかけながら、自分なりの答えを出していくのが、"ほんとう"なのだと、今は思う。

生きることのしんどさは、正解のない問題を、どうにか解き続けなければならないところにある。その場凌ぎのカンニングをしても、あとで辛くなるのは自分自身だ。

この先も、なんとか難問に挑み続けよう。
考えまくったところで、何も減りゃあしない。

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