着たまま針を使う時に、縁起の悪さを転換するには〜言い伝えから感じたこと〜
この前、知人とたわいのないお喋りをしていて
着ている服が綻びて、そのまま縫わなければいけなくなった時、どうするかという話になりました。
出先だったり、外出前だと、脱いでじっくり繕うわけにもいかないので、着たまま針と糸を使わなければなりません。
ウチの田舎(石川県加賀地方)では、繕う前に、必ず「脱いだ」と言いなさい、と言われました。
言えば、脱いだことになるという...笑
気休めだよな、と思っていたのですが、実は別バージョンがあることがわかりました。
新潟出身の知人のお母さんは、繕いだ直後に水を飲むか、なんでもいいから食べなさい、と言うんだそうです。
何かを口に入れることによって状況を変化させる、という意味があるんじゃないかと知人は言ってました。
「脱いだ」と言うことと、直後に何かを口にすることは、全然違う行為のようですが、一つ共通点があります。
それは、その行為をしないと、縁起が悪いから。
調べてみると、昔から「着針(着たまま繕うこと)、出針(外出前に裁縫すること)は縁起が悪い」という迷信があるんだそうです。
着たまま針を刺すのは死んだ人だから、「死んでませんよ」という意味で何かを口にする。
外出前に繕うのがよくないのは、慌てると、針を刺したりして危ないから。
迷信といえども、生活に密着したものには、何かしら必然性がある。世界中いろんな地域の人に同じ質問をしたら、地域の数だけ違う所作があるのでしょうね。
「脱いだ」だけとっても、例えば、「脱いだ脱いだ脱いだ」と3回連続で唱えるとか、「西行も旅の衣に急がれて、着て縫うは目出度かりけり」とか、あれこれ言い換えバージョンがあるようでした。
ついでに調べたんですが、仏教の基本思想でいう縁起とは、「無量無数の因縁が私となっている、無量無数の因縁によって私が成り立っているという意味」だそうです。
それに対して「縁起が悪い」の「縁起」は、転じて「吉凶の前兆」というような意味に使われています。なんだか下世話感すごいですね(笑)
縁起が悪いというのは、死につながることが多いように思います。それを避けようとする様々な生活の知恵は、たとえ下世話であっても、地域特性を色濃く残している生きた文化であり、人々の願いの込められた言葉、行為なのだと思います。
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