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近眼でも裸眼生活。その密かな楽しみ

突然ですが、私は超ド近眼です。視力は最近測ってないですが、おそらく0.01あるかないか、という程度です。

20年くらい前にメガネをなるべくかけないように生きようと決めて(仕事の時などしょうがなくかけますが)、日常生活では殆どかけないで生きてきました。

とはいえ、見えなくて不便なこと、アホなことは散々やらかしました。

・人の顔が見えないので、粗相をしてはいけないと思い、誰彼となく、とにかく目があったら会釈する。*これは、近所の小学生にはかなり不評で、変なおばさんから愛想よく挨拶されて戸惑ってる空気感が伝わってきます。昨今では、あまりむやみに挨拶をしないような風潮になってるので。しかし、敢えて挨拶したがるおばさんがいてもいいじゃない!という気持ちで毎朝めげずに声を掛けてます。

・元来、動物好きなので、野良猫などを見かけると、寄っていってなでなでしたい。「あ、猫!」と思って呼びかけながら近づいていったら、ぼろ雑巾だったというのはザラです(懲りろよ)。かなり恥ずかしいです...。

・子供たちへの影響:子供が小さいときは、必要以上にモノを見るときに顔を近づけている姿を見ました。だいぶ経ってから、あぁ、あれは私の真似なんだなと思って、悲しくなりました(苦笑)

まぁそれに関係する話ではありますが、パソコン作業をしているとき、子供から「お母さん、パソコンに顔突っ込んで仕事してるね」と言われたことがあります。「比喩表現豊かじゃん〜」と思ってあとでその姿を写真で見たとき、比喩じゃなくて本当に突っ込んでるのがわかり、愕然としました。

もうすぐ50に手が届くという年齢になっても、いまだに老眼を体験したことがなく、それゆえ近眼も少しも良くなりません。

それでも、裸眼で頑張りますか?って感じですが(笑)

実はこの近眼生活、割と発見もあります。

・遠くに見える人の顔はわからないが、なぜか表情と、そこから読み取れる感情はわかる。

・近眼の絵描きの絵っていうのは見たことないけど、絵を描いてみると実は割に見えていることに気づく。(多分、物事の本質は、近眼でも見える)

・料理に視力はあまり関係ない。包丁を使うときも、手元は見なくても切れる。

ってことで、じゃあ、眼の役割ってなんなんだろう、と改めて考えると、意外と視力の良し悪しにはあまり意味がないのかもしれないと思ったりもします。

よく「眼は心の窓」とか言いますが、眼で認識できるモノって、情報量としてはそんなに多くは必要ないのではないかと。

むしろ、眼から拾った情報から空想すること、感じることの方が重要で、それは経験値とか、その人の生き様にもつながることなのかもしれません。

ということで、当分楽しい裸眼生活は続きそうです(笑)






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