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不幸は幸せの栄養

「不幸は幸せを作るんです」と、昨日Twitterか何かで見かけた。

立て続けに尊敬する人が亡くなって、がっかりしていた。
何をするにも力が入らない。
この気持ちを誰かに伝えたくても言葉が見つからない。

そんな時だった。「え?」と思った。

不幸な目に遭った時、人はそこから立ち上がろうとして試行錯誤する。
そこでもがいているうちに、幸せの元を作ることができるという。不幸が幸せの栄養になっているということらしい。

多くの不幸を経験した人ほど、たくさんの幸せの種を持っていることになるし、不幸から立ち上がる「立ち上がり方」も多様に経験していることになる。

「時が忘れさせてくれる」というが、時を重ねるうちに自分の中に多様なものの見方を獲得していく、あれこれ日常に追われているうちに、不幸も身のうちに入れ、肥やしにしていくということかもしれない。

だとすれば、忘却とはなんとありがたい能力なのだろう。

不幸に陥った時のもやもやジメジメした感覚が、幸せを醸成するために必要な栄養だと考えれば、なんだかそれも乙なものに感じてくる。

言葉にできない虚しさは、いつのまにか、新しい言葉を産むための材料になっている。

新しい言葉が生まれてくるのを、じっと待ってみようと思った。








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