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弥生さんと、お母さんと、私

私はtiny peace kitchenと言う家庭料理レストラン&ケータリングをやっているのですが、お店のnoteでメンバーの紹介noteを始めました。

ずっとやりたいな〜と思っていたのですが、満を辞して、と言う感じで。とっても楽しみなシリーズです。

私たちは、互いに想いを馳せることができるような関係性の中でビジネスを構築していくことを目指しているので、まずは自分たちのこともちゃんと表明して、親近感を持ってもらうのが大事だな〜、中の人の人格が伝わるのが大事だな〜と思いつつ、自分語りのようでやっぱり気恥ずかしさもあったりします。

でも、そんな中、弥生さんというタイニーのメンバーの一人と1on1をして話をしている時に、弥生さんとの出会いから今に至るまでを振り返っていると、あまりにいい物語のようで、どうしてもnoteに書きたくなりました。コレは完全にメンバー自慢です!身内自慢です!弥生さんが素敵すぎるんです。

個人的な話なんですが、弥生さんは私の母を思い出させてくれる存在です。正直、私、さらっとしたマザコンなんです。母が亡くなって、もうすぐ2年が経ちますが、母が大好きで、今も毎日母のこと思い出すし、寂しくて仕方ありません。

そんな母が醸し出していた雰囲気と同じものを、弥生さんが纏っているんですよね。何だろうな、とにかく暖かいんです。

弥生さんは、鎌倉に引っ越したのにも関わらず、永田町まで通ってきてくれていて。頻度はメンバーの中で一番少なく週1回ぐらい。でも弥生さんがチームにいてくれることのパワーは計り知れないものがあります。

私たちのチームでは、とにかく日々たくさんの情報が飛び交うのですが、弥生さんは色々と拾ってくれたり、暖かいコメントくれたりするんです。一応チームのリーダーとして、色々やっているのですが、メンバーに伝わるかな〜、届くかな〜ともちろん日々の不安も大きいわけです。

新しいことをやる時とか、大きく方針を打ち出す時、とっても不安です。でも、そんな時にも弥生さんは「とてもいいね!タイニーらしいね」と声がけをしてくれます。もちろん単に何でも賛同してほしいってことじゃないんです。イエスマンばかりのチームなんて危険ですし、決してそれを求めてるわけじゃない。健全な議論が巻き起こるチームでありたい。

でも、何かをやる時に、背中を押してくれる存在がいるって言うのは、本当に大きな大きな力になります。

そんな弥生さんを思い出すと、思い出す光景があります。

私が中学生の頃。思春期真っ盛りで、学校も少々荒れていて。共感性資質が強すぎる私は、結構心が疲れてしまって、学校に行くのがギリギリの状態の時がありました。そんな時、母が突然、「私、学校の図書館のおばさんとして働くことになったから。」と言い出したのです。

クールな母は、「あんたが心配だから」とか、決して言わずに、「暇だから、働くことにした」とか言ってましたが、あれは完全に不安な私が安心して学校に行けるようになるためのサポートだったんだと思います。

中学校の図書館はガラス張りだったので、教室からトイレに行く間に、母の姿が見えるんです。とてつもない安心感がありました。学校に行くのがしんどかった時に、学校の中に完全なる安全地帯ができたのです。そういう母になんども救われてきた人生でした。そりゃ、マザコンになりますよね。

だから、私は都会で忙しく働く人たちにとって、安全地帯を届けたいな〜と言う気持ちでお店を始めました。飲食店の運営が思ったよりも色々と厳しくて、ここまで奮闘し続けてきて、まだまだな部分がたくさんあります。お店の継続していくために、メンバー共々必死に歯を食いしばってやっていかないとダメな状態でもあり、お客様に癒しを届けたいと思いながら自分たちもまだまだいっぱいいっぱいです。

でも、そんな時に弥生さんの笑顔を見ると、母の笑顔も浮かんできて、「そうだそうだ。私たちがやりたかったのは、ふと安心できる時間・空間・ご飯を届けることだ」と思い出させてくれます。母にもらった、たくさんのもを、世の中に届けるためにお店を始めたんだ、と。

原点を忘れず、たくさんの人がふと安心できるような瞬間をこれからも作っていきたいと思いました。弥生さんと出会った後、4ヶ月後にこの世を去った母。もしかして、母からの最後のギフトが弥生さんとの出会いだったのかも?なんて思ってます。

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