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自分の可能性は無限大♾

このnoteを始めた時に、とても不思議に思った事があった
わたしは一体何になりたいのだろう、と

セラピストになりたいと言っておきながら、写真も撮り、歌を歌って形にしたいと言ったり、ここでは書いてないですがハンドメイド作品を作って売りたいと思った時期があったり、、、でもそのどれもがひとつ大きくひいでてるわけでもなく、仕事になってるわけでもない

完全に中途半端で何一つ特技と呼べるものなどないのかな、、、と落ち込んでいたりもした

それでも、好きなことってまた気がつくとやっていて、意味がなくてもなんでもいいからただただやってしまう

そんな時にわたしが感じたわたしが無意識にやっていることって、きっと

①何かカタチに残したい欲
②目に見えない不思議への興味

この2つが発動した時に、どうしようもなく行動にうつしてしまうのだとわかりました

最近怪談話を聴くのが大好きでYouTubeで松原タニシさんのOKOWAてトーナメントの動画を観たりしていて
でも、実は怖いものが大の苦手で、お化け屋敷など絶対行かないし、リングを観た時はトイレにも行けなかったし、なんでこんなわたしが怪談話を聴いてるかもわかってなかったのですが、怪談話と言っても、お化けだ幽霊だという話ばかりではなく、とても説明できないような不思議な体験とか、もしかしたら今思うとこんな意味だったのかな(あの時の体験は)みたいな、誰も信じてくれないような話だけど実はとても興味深いみたいなモノへの興味が湧いてるのかな、と思いました

そこで話している方でミュージシャンでもあり、怪談士としても話している方が2人いて、その方が話していた言葉で

僕たちはミュージシャンが本業で怪談士はあくまで別という感覚でやっている
だけど、ミュージシャンにしても怪談にしても、大きくみたら自分を表現する方法が違うだけで、これも自分を現すやり方のひとつなんだと思ったら面白いな〜と思った、と話してらして、それを聞いたときに自分と置き換えて考えてみたら、私も本業はただのしがない会社員で毎日PCに向かって仕事をしているけれど、別の顔として歌を歌ったり、写真を撮ったりしてみてもいいんだな〜と思いました

そこに肩書きがないと自分ではないと思い込んでいたものも、取っ払ってしまっていいんだと思って
わたしがミュージシャンにならなくても趣味で占いやってるだけでも、写真撮るの好きでSNSに載せるだけでも、それでも私は私の好きな事をやっている、以上。(マル)
て事で世間から認められなかったら自分ではないわけなくて、むしろ本当にやりたい事を我慢してまでやっている事の方が疲れてしまうかもしれない
(それを言うと、会社員なのは本当に好きなことか?というところに疑問はあるのだけども)

そうやって自分の可能性を否定せず、好きに楽しく興味の赴くままに進んでいけたらいいなぁと思ったのでした

もしかしたら、そのうち怪談を話すような人になってるかもしれませんしね笑
なーんて😎

読んでくださりありがとうございました😊

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