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いろいろな価値観があるよね、は、やめた。

最近は自分の考えや感じ方を優先する過ごし方を意識しています。

それにはいろいろ考えたことがあったからです。

背景

今は違う仕事をしているのですが、それ以前は福祉系の仕事をしていました。

病院や地域の事業所と言われる所での勤務です。

そこに来る方は病気や障害を持っていて、年代も様々な人が通っていて、そういった方達をサポートするような仕事でした。

そうした人の対応するには、想像力がとても必要で、「この人はこういう背景があって今困っているのかな」とか「これは得意そうだけど、これは難しいのかな?」などと考えて対応する必要がありました。

バックグラウンドが様々なので、当然いろいろな生き方があって、考え方もあります。

なので、「自分(私)はこう思うけど、◯◯さんがこう言うのって、こういう気持ちなのかな?」

と、よく考えていました。

良く言えば尊重なのですが、行き過ぎると迎合といった感じになります。

でも毎日毎日相手をそういう風に受け取っているとやっぱりそれが当然の考え方になってきて、いつの間にか相手を行き過ぎて尊重するようになりました。

その状況をしっかり認識したのは実は最近なのですが、当時は「なんだか自分が無くなってしまっているな〜生きづらいな〜」などとふわっと考えていました。

難しく言うと「自己の喪失」と言うらしいです。

気づき

しばらくして、いろいろな事があって今は違う仕事をしていますが、思い返すと相手を尊重して(ると思っている)自分を見失っている状況がプライベートでも多くありました。

あるあるですが、自分と友人とのライフステージが違ってくると、例えば約束をしていて急に中止になった場合は「そういう状況だと、ドタキャンでも仕方ないよね」と受け入れようとしていました。

それは関係を保つためには必要だったのかもしれません。

でもそういうケースが増えると、どんどん相手の状況を優先してして「自分を大事にしてない感」が募ってしまい、孤独な気持ちやガッカリ感がありました。

考え方を広げる

ふと、田舎にいたらどうなんだろうと最近になって想像してみました。

田舎はそもそも人が少ないです。

子どもの頃は学校があるので友人とは付き合いがありますが、成人してから帰省しても友人に会うことはほとんど無かったし家でのんびりしているだけでした。

良くも悪くも、社会が狭いし、人も少ないので、価値観も都会よりは幅広くないかもしれません。(個人の感覚です。)

だから生まれながらに付いている自分の価値観や考え方が「常」といったような感じがして、変にいろいろ考えないのかも、と自分的な考えがあることに気づきました。

まとめ

生きていると様々な境遇の人と当然関わります。相手のことを尊重して共存することもとても重要ですが、それを優先して自分を見失うのはただただ自分を苦しめるだけでした。

これに気づいてからは、ある程度自分と人との間で線引きをするように意識しています。

ずいぶんと過ごしやすくなりました。

なるべく自分を優先で。

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