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学校設立 資金集めの苦悩

波乱の2021年もあと数日で幕を閉じる。noteを書きたいと思いつつなかなか時間を作れなかったが、1年の終わりに白馬インターナショナルスクール(HIS)の今について書き記しておきたい。いつもは「ですます調」で文章を書くのが好きなのだが、今回は人に読んでもらうためというより自分の思いを吐露するために書いているので、常体で綴ろうと思う。

白馬インターナショナルスクールは来年9月の開校を目指して準備を進めている。2016年に最初のホリディプログラムを開催してから、200人を超える生徒が白馬での学びを体験してくれた。私自身、様々な生徒たちや保護者の方々と出会い、多くを学んだ。色々な人が講師として来てくれた。そのうちの何人かの講師は来年開校時のスターティングメンバーとしてHISに参画してくれる。

今年の1月には岩岳スキー場の麓に11,000坪の土地を買うことができた。将来学校を建てる学校用地だ。岩岳の大地主の方が周りの地主さんを説得して下さって、私たちが想い描く学校を建設するのに最適な、素晴らしい立地と大きさの土地が入手できた。学校用地を取得できたことで学校設立がぐっと現実味を増したと思う。インベストメント・バンカーだった頃の貯蓄でギリギリ買える金額だったので自分で買うつもりだったが、夫が「さすがに一文無しになるのはよくない」と言って半分出してくれた。確かに貯蓄ゼロはちょっと不安だったのでありがたかった。11月には最初の寮となる宿泊施設を購入する契約を結ぶことができた。白馬ブランシェという素敵な宿である。今シーズン最後の営業をして、3月末に引き渡しをして頂くことになっている。自分の残りの貯蓄でギリギリ購入できる金額だったので、寄付をあてにせずに契約を結べてありがたかった。

私は大学卒業後、MBAを取りにUCバークレーに行った2年間を除いて、米系投資銀行で働いた。私が就職活動をした頃は、某商社の「東大女子説明会」に行くと、開口一番「皆さんもご存知だと思いますが商社は男社会なので女性はバックオフィスになります。」と堂々と言われる時代だった。何が向いているかさっぱりわからなかったので、あらゆる業種の企業に話を聞きに行ったが、当時女性としてまともに働けそうなのは外資系しかないという結論に達した。東大時代に、ほとんどのサークルに東大女子が入れない、とか、インカレのパーティーに行って大学名を言った途端わかりやすく踵を返される、とか、様々な経験をし、結婚は無理そうだという感触を得て、一生自分で食べていけるキャリアを築かねばと焦っていた。結局最初の職場でオーストラリア人の夫と出会いやがて結婚して子どもにも恵まれたのだが、高校生の頃は専業主婦になるのが夢だった私が投資銀行で働きNYや香港での勤務経験を得られたのは、結婚できそうにないという危機感のおかげでもあったと思うので、当時のジェンダーバイアスには感謝すべきなのかもしれない。

MBAを取得した後ゴールドマン・サックスの香港オフィスに入社し、東京オフィスに異動して、NY本社でも働く機会を得た。私が入社した頃のゴールドマンはまだパートナーシップの未上場企業だった。金融界のジャイアントがついに鳴り物入りで上場した時には、それまでにもらっていたストックオプションのありがたみを実感した。会社では投資の仕事をしており、会社のためのリターンをあげることには必死だったが、1日16時間働くこともザラだったので、自分の資金を運用する余裕は全くなく、預金口座には使う暇もないお給料が貯まっていった。仕事ではプライベート・エクイティのファンドを運用しており、会社が従業員参加枠を設けてほぼ自動的にファンドに参加できるようにしてくれていたため、自分が運用に関わるファンドからリターンを得ることができた。そうやって貯まった資金を後に学校設立のために使うことになるとは当時は知る由もない。上司や同僚、部下に恵まれ、仕事もやりがいがあり、NY本社でも投資業務に携わる機会を得て、充実した日々だった。投資先企業の経営者の方々も含め、当時一緒に働いた社内外の方々の多くには今もお世話になっている。子どもができていなければ今も同じ仕事をしていたかもしれない。

2009年に白馬に移住した。白馬を初めて訪れたのは2005年頃だったのではないかと思う。日本にこんな景観の場所があるのかと驚き、トトロが住んでいるならここだと思った。こういう環境で子どもを育てたいと家族で移住した時に5歳だった長女は、今や高校3年生となった。地方で育った私は、大学院も含め公立の学校にしか行ったことがない。熊本高校を卒業して大学に入って初めて「桜蔭」や「筑駒」という学校の名前を知った。東京で子育てをしたらノウハウがわからなさすぎて振り回される自信があった。私は親に勉強しなさいと言われた記憶が全くない。子どもたちにも田舎で伸び伸び育ってほしかったし、白馬のような場所で成長することができたらそれは子どもたちの最高の財産になると思った。私はあまり良い母親ではないが、子どもたちに白馬という故郷を与えられたこと1点で、子どもには一生恩を売ろうと思っている。実際に子どもたちは、私から生まれたとはとても思えない運動能力を培い、丈夫で健康な体に恵まれた。環境の影響は大きいと思う。

2014年に県立の白馬高校が存続の危機に陥り、魅力化委員会ができた時に末席に加えて頂いて、白馬高校存続のため猛勉強した。その時に強く思ったのは、地方創生の鍵は教育だということだ。教育に不安があれば、学齢期の子どもがいる若い家族を呼び込めないし、地元の人でさえ村を離れていく場合がある。白馬ほどの素晴らしい環境があれば、世界レベルの教育を提供することは可能なはずだ。白馬高校は国際観光科を設置し、全国募集を始めて、県外からも生徒が集まる活気に溢れた高校となった。白馬に英語で教育を提供する学校があれば、全国募集のみならず全世界募集できる学校となるのではないか。白馬高校を手伝う中で、白馬にインターナショナルスクールを創りたいという想いが生まれた。指導言語が英語の私学なら、地元の学校と競合することもまずないし、国際的な観光地である白馬とインターナショナルスクールの相性は良いはずだ。大自然を活かして最高の教育を提供する学校が白馬にできて、世界中から生徒が集まってくれたら、どんなに素晴らしいだろう。世界から人が集まる最高の教育とはどんなものだろうか。長い探究の旅が始まった。

自分で学校を創るなんてとてもできると思えなかったので、最初は誘致を考えた。当時「白馬キャンパス設置」提案の話を聞いてくれた東京のインターナショナルスクールには、白馬は東京からちょっと遠すぎると言われた。

日本のインターナショナルスクールはほとんどが大都市にある。山の中にインターがあって人は来るのか?先生を招聘できるのか?そもそも白馬にインターなんて荒唐無稽すぎたか。さっそく心折れかかった時に相談したのが当時Yahooの社長だった宮坂学さんだ。宮坂さんのお父様は晩年白馬に住んでおられたそうで、宮坂さんが引き継がれたお父様の家はYahooの白馬合宿所のようになっていた。登山、トレラン、スノーボード、自転車などなんでもできるスポーツマンの宮坂さんは、よくいろんな方を連れて白馬に来て下さっていた。

白馬にインターナショナルスクール、いいっすね!やりましょう。手伝いますよ!

宮坂さんの発言@白馬宮坂邸 2015年頃

その言葉通り、2017年4月に白馬インターナショナルスクール設立準備財団設立時に理事に就任して下さった。現在は東京都副知事の宮坂さんは、都庁に入庁された際に財団理事を辞任されたが、今でも様々な面でサポートして下さっている。

2016年の最初のホリディプログラムで生徒たちに話をしてくれた時の宮坂さん

本当にたくさんの方に色々なことを教えて頂き、教育は大きな変革期を迎えていることを知った。海外で先進的な取組をする学校も何校か視察しに行った。長女は視察先の学校でサマースクールに参加し、そこを気に入って中学1年生の時から海外に留学してしまった。早々に家を出てしまった長女の成長を目の当たりにし、ボーディングスクールの素晴らしさを実感することになった。

白馬インターナショナルスクールは、持続可能性を中心に据えた学びを提供する中高一貫のインターナショナルボーディングスクールとして、2022年9月開校を目指して準備を進めている。初年度は中1、中2の2学年を受け入れる予定だ。入試も始まり、「このご家族には是非学校創設に参画して頂きたい」と思う方々が受験して下さっていて心強い限りである。引き続き募集を頑張らねばならないが、ニーズがあることを実感している。教員募集はスクールのHPとFB、LinkedInに掲載したのみだが、世界中から50名を超える応募を頂いている。従来の教育に疑問を抱く先生方がゼロから学びを築き上げる学校に期待を寄せ参画を希望して下さっている。

これからこの学校を現実のものとするため、全力で資金を集めなければならない。自分の資金で出来ないことをやる資格が私にあるのか。この重い問いから私は逃げてきた。最近まで寄付を募ったことはなかったし、ホリディプログラムに協力して下さる方には大学生インターンも含め多額ではないがそれなりの謝礼を払い、ボランティア参加を申し出て下さる方にも気持ちだけだが出来るだけ何らかの謝礼をお支払いするようにしてきた。無償でお願いすることが申し訳なかったし怖かったのだと思う。だが、今年に入ってコアメンバーチームが出来、各国のインターナショナルスクールで活躍する先生が参画して、理念作りから入試、採用手続きまで、様々なプロセスを一緒に作ってくれるようになった。白馬で新しい学びを提供する学校の設立に共にワクワクし共に創る仲間だ。そこに堀井学園を経営してこられた堀井章子先生が加わってくれた。章子先生を含めたコアメンバーチームはボランティアで参画してくれている。今や私だけの夢ではない。彼らの想いを現実にするためにも、白馬での学びに期待を持って入学を志望してくれている生徒とその家族の方々のためにも、しっかりした資金的な裏付けを持って学校作りを進めていかねばならない。

白馬村がHISを個人版ふるさと納税のメニューに加えてくれた。行政が当財団を「地域課題解決に資する事業者」と認定してくれたことは、感慨深く、本当にありがたい。多くの方がお志を寄せて下さった。中には白馬村の総務課が「桁が間違っているんじゃないか」とざわつくような金額を寄付して下さった方もいる。ふるさとチョイスから寄付をして頂けるのだが、HISを見つけられないと評判なので(確かに返礼品のない寄付となるので見つけにくい)、マニュアルを作成した。ふるさと納税をご検討頂ける方はご高覧頂けたらと思う。

個人版ふるさと納税によるご寄付

そして、今、建学のパートナーとなって下さる「ファウンディング・パートナー」を募集している。資金のご提供だけでなく、共に持続可能な学びを構築して下さる企業や個人の方にご参画頂きたいと願っている。

昨年、経済同友会の夏季セミナーに登壇する光栄な機会に恵まれ、日本を代表する企業の経営者の方々にご挨拶させて頂いた。その時にお会いした尊敬する企業経営者のお一人に最近ご連絡し「ファウンディング・パートナー」としての参画を打診した。ご連絡するだけでも緊張し、メールを出すのに何週間もかかった。お返事が来なくてもへこまない、と自分に20回ほど言い聞かせて送信したメッセージに、翌日前向きなご返信を頂いた時には心底驚いた。まだ参画を決めて頂いたわけではないが、ご多忙を極める中ですぐに返信するに値する案件だと思って頂いたことがとても嬉しく、お送りした学校紹介冊子を見て頂いて「まさに今後の人財を育てるのに相応しい素晴らしい学校」と評して頂いたのには本当に励まされた。

「メリンダ・ゲイツではないのにメリンダ・ゲイツがやるようなことをしている」と言われたことがある。その通りだと思う。学校設立なんて、私のような一般人がやるべきことではないのではと何度も思った。でも、学校設立構想に耳を傾け賛同して下さった多くの方々が、HISは世の中に存在すべきものだと背中を押してくれた。去年サマースクールに参加してくれた都心の超進学校の生徒が、「今まで自分の学校が最高の教育を提供していると思っていたけど、ここに来て考えが変わりました。こんな学びがあるのを知らなかったので参加できて本当に良かったです。僕は年齢的にHISに入れないけど、大学生になったらインターンとして教える側で参加したいです。何を勉強したら良いですか?」と聞かれた時は涙が出そうになった。入学希望者の方に寮生の住民票について聞かれ白馬村役場の住民課に問い合わせた時、電話口に出た職員の方に、「インターナショナルスクールすごいと思ってます。できるのが楽しみです。応援しています。」と言って頂いて胸が熱くなった。学校用地や寮の建物の購入も、地元で活躍する協力者の方がいなければなしえなかった。ホリディプログラムに参加してくれた方々や教えに来てくれた講師の皆さんのおかげで、学びのノウハウを積み上げることができた。数え切れない人たちが色々な形で期待と応援の想いを伝えて下さって、そのおかげで少しずつではあるが前に進んでこれた。

自己資金で出来ないことをやろうとしていることに罪悪感を感じていたが、資金を出して頂くことは出し手の方の想いを受け止め夢が大きくなることだと気付いた。

今世界で学びの変革が必要とされている。多くの人が世界中で新たな教育の形を模索し、弛まぬ努力を続けている。日本でもあちこちに新しい学校が誕生している。私たちは白馬の大自然を活かした持続可能性を軸にする学びを構築し、世界に誇れる教育の形を創っていきたい。当財団の名誉顧問である岡田武史さんがおっしゃる「DNAにスイッチが入る経験」ができる学校だ。

その想いに共感し協力して下さる方々を募集しています。

最後に、鈴木エドワードさんとの思い出を綴りたい。エドワードさんは著名な建築家であり、奥様の高橋百合子さんと共に創生期のISAKを支え、最初の校舎の設計もされた方だ。白馬で知り合った方を通じてエドワードさんに紹介して頂き、東京で初めてお会いした際に、こんなお話をしてくれた。

僕は東京のSt. Mary'sというインターナショナルスクール出身ですが、僕が行っていた頃は寮があったんです。いろんな国からきた友人と同じ釜の飯を食う経験がとても良かったと思っています。何年も寝食を共にした仲間の出身国を相手に戦争を仕掛けようと思う人はいません。だから僕は、インターナショナルボーディングスクールこそが平和への一番の近道だと思っています。ISAKを応援したのもそういう信念があったからだし、草本さんの学校も応援したい。なんでもできることがあったら言って下さい。

鈴木エドワードさん

その言葉通り、エドワードさんと百合子さんは、その後折に触れ相談に乗って下さり、白馬でのシンポジウムにご登壇下さるなど様々な形でご支援頂いた。残念ながらエドワードさんは2019年に急逝され、エドワードさんに校舎を設計して頂く夢は叶わなかったが、百合子さんと共に鈴木エドワード建築設計事務所の共同代表を務めておられる難波さんが今月学校用地を視察して下さり、校舎建築の構想が始まろうとしている。百合子さんからは引き続き多大なるご協力を頂いており、先月とうとう寄付受付専用の口座を八十二銀行に開設したのだが、最初に寄付して下さった方が百合子さんでとても嬉しかった。

2016年12月「白馬村の百年後を考えるシンポジウム」
左から2番目が鈴木エドワードさん、左から5番目が白馬村長 下川正剛さん、
その右隣が宮坂学さん(当時ヤフー社長)、1番右が当財団法人理事の丸山俊郎さん、その左が草本。

これからも家族にたくさん迷惑をかけながら、開校に向けて突き進んでいくと思う。半ば呆れながらも応援してくれる夫、「ママはボランティアとかばっかりやってるからいつまで経っても学校ができないんだよ、やるべきことに集中しないと。」と鋭いツッコミを入れつつ暖かく見守ってくれる3人の子どもたちに、申し訳なく思いながらも感謝している。私が何か社会に返せるとしたら、これではないかと思い、不安や苦悩を抱えつつも、大きな可能性と希望を胸に、進み続けている。

Let curiosity be your guide. 

すべての子どもが好奇心に導かれ真正な学びを糧に成長する日を目指して。

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