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「ユニーク」という言葉に刺激されるもの

「なんで、わたしはNVCの認定トレーナーを目指すのだろう?」
この問いは、いつまでも持ち続けるものだと思う。

今夜は、日本にはまだ少ない認定トレーナーのおひとりに、
直接「なぜ認定トレーナーを目指したのか?」などを質問する機会に恵まれた。

その中で、その方が語ってくれたのは、
「自分が認定トレーナーを目指す前に、出逢ったトレーナー達が皆とてもユニークだった。自分自身に正直だった。」
「いま、この瞬間瞬間を生きる、自分の本物さを追求し続けたい。NVCは、それをサポートしてくれるツール」などなど・・・


自分がこのNVC認定トレーナーを目指そうと、Podでの学びをはじめてから、
(先日の記事にも書いたが)
小学生の頃、超マジメだった小さなトモコちゃんが、顔を出すことが多い。


“わたしはCNVCの認定トレーナーです”ということは、社会的に認められたランクを得る、という見方もできる。

そんなイメージを抱いたときに、ついついその小さなトモコちゃんが
当時の感覚で、「正しさ」や「見本」みたいなものを、わたしに見せてきて
「さぁ、あなたはそれに相応しい人間なの?」と問いかけてくるような感覚に襲われるときがある。

そして、今日の話で刺激されたのは「ユニーク」という言葉。
そのものが持つ意味は、辞書を調べると、

「ただ一つだけの、他に存在しない。唯一無二」
「並ぶもののない、優れた」
「普通とは異なる特色があって珍しい」などと書かれている。

そう、本来は、わたしがわたしで在るだけで「ユニーク」なはず。

それなのに、なぜかまた、小さなトモコちゃんが出てきて、
小さい頃に身につけた「ユニーク」のイメージ・・・
「ユニーク = 面白い、独特ですごい特技とかもってる人」を持ち出してきて、
「さぁ、あなたは自分をユニークな人間だと思うの?」と問うてくる。

そうなると、わたしの心は小さく、自信を失って、身体も収縮するのを感じた。

小さい頃、
「自分はマジメで、面白いことが言えなくて、人を笑わせたり楽しませることができない。」
と思い込んでいた、という古い傷がじんわりと浮かび上がってくる。

なので、現時点では「今ココ、自分の本物さを追求し続ける」
という表現が、耳と心に優しい感じがする。

* * * * *

そのオンラインの会を中締めした後に、仲間に
「ともちゃん、十分ユニークなのに、そんな風に思うなんて不思議だよ。」
って言ってもらって、ホッとする。

そして、もう一人には
「あなたは(メンバー全員)ユニークです!」という太鼓判をもらった。
(オデコにひとつじゃ足りなかったので、胸のあたりにも、大きな太鼓判を追加でいただいた笑)

あぁ、本当にこの学びのプロセスを、仲間と一緒に歩めて幸せ。
きっと自分ひとりだったら、たくさんの壁にぶち当たって乗り越えるどころか、
出会うことさえできない壁がたくさんあると思うから。
みなさま、いつもありがとうございます。

あぁ、「ユニーク太鼓判」のお陰で、今夜もぐっすりと眠れそうです。
おやすみなさい🌗

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