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こんにちはともこです。

子供の頃、母によく言われた言葉

人は人、自分は自分。

これは一生この言葉と生きていくのかもしれないと思ったのだ。

わたしの母は、80歳、父は83歳

高齢者だ、

娘は5歳、わたしは39歳

と言うラインナップ。

ここ最近母の調子が悪く
実家に行ったりしてる。

もう老い先そんなに長くないであろう年代、
いろんなことが出てくる。

当たり前かもしれない、歳を重ねていくと言うことは老いを受け入れること。

退化することさえも、受け入れることなのかもしれない。

わたしの年齢ではまだそこまでの覚悟ができてない。

だから100%はわかることはできない。
だとしても、死ぬその時まで幸せでいてほしいと思うのが娘心だ。

どう見ても今は幸せそうには見えない。

年2回海外旅行に一人で行くほどの母が
病に倒れてから三年くらい、
外に出てない。

正確には病院などの最低限以外外に出てないと言う意味だ。

外に行くのが好きだった人が、、

自由を奪われような感じだ。

そこから明るかった母は、変わってしまった。

変わったと言うより、本質的な部分が
今までカバーできてた部分が

剥き出しなったような感じがするのだ。

ある意味本来の母なのかもしれない。

親子と言えども親のことはよくわかってないものなのかもしれない思うのだ。

親と言えども子のこと全てわからないように。

そう、人は見たいように見てるのだ。

親子でさえも。

むしろ近すぎてちゃんと見えてないのかもしれない。

親には親の人生がある。

でも、幸せに最後を迎えて欲しいから
今も幸せを感じて欲しいと思うのは

わたしのエゴだ。

勝手に不幸と思ってるのは、わたしで。

もしかしたら、それはそれで幸せなのかもしれない。

最後の最後で穏やかに過ごせないことが
もしかしたら想定外のことかもしれないけども、彼女の定めてきた人生のワンピースだとしたら。

こちらがやきもきしたり、何かを変えようと
してしまうのは違うのだと。

どんなに伝えても伝わらない、
本人の思いがこうと、決まってるなら

それ以上何かしようとするよりも、
本人が必要と言ってきたときに、
柔軟に対応できる力の方が必要になのかもしれないと思ったのだ。

歳をとったからと言って、判断力が
前と変わったからと言って、本人の
意思を尊重することが、何より大事なのかもしれない。

歳をとって頑固になって曲げないから
こちらも疲れると言うのもある(笑)

ただ、お互いの良い距離で、
見守ることが、一番なのかなと思った。

何かして欲しいわけじゃないんだなぁ。
親からしたら。

時に実力行使も必要なのかもしれないけど今は見守ることが大事なのだなぁと

子育ても、親のことも、人間関係て
何をするかより、何もしないで見守ることが一番難しくて、そして一番肝になるのだなと

思った、そんな実家からの帰りでした。

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