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もし普通に預けてなんにも問題なくて
これといって大きな問題もなかったとしたら

こんな風に乗り越えてこれなかったかもしれない。

そう、今日は娘の卒所でした。

2年近く通った民間の療育の。

最後の日。

幼稚園に2年保育で入ってすぐに
勧められた療育

あまりにも先生から毎日ダメ出しの日々で
苦しくなったところへの
渡に船でした。

最初は先生を納得させるためにも
とりあえず通おうと思ってたのが

2年近くも通うことができました。

最初は週3日
土日も通ってたので
ほとんど休みなく、、

疲れたまま、幼稚園に行くという

どこかの会社員のような生活でした。
まだ4歳だった娘は。

でも、続けられたのは

療育の先生たちがいつも明るく
そして否定せずに、受け止めて

良いところはたくさん伸ばしてくれる
いいとこをたくさん見つけてくれた
から、娘もぐれずに来ることができました。

お友達もでき、仲良しさんもいて。
行くのを楽しみにしてて。

何より受け止めてくれるから
うれしくて、頑張るといういいループに
ハマってくれたみたいで。

最初こそ数を数えたりや、文章の理解
文字が書けない、コミュニケーションが
難しいという点がありましたが

今では、それ気持ちわかるよーとか

これで勘弁しよう
というどこで覚えたシリーズの言葉を
いうようにまでなりました。

人の気持ちに寄り添い
察して先回りして行動するのは

昔からですがさらにそれが強くなったように
思います→幼稚園ではそれがダメとされてましたが、私はいいところだと思って
伸ばしていきたいところだと思ってます。

お友達ともなかよくして
ムードメーカーになりつつ

先生たちにも癒しだと言われ笑

何故か人気者な娘でした。

ところ変われば、そして見方がかわれば

こんなにも変わるのかも目の当たりにした
二年間でもありました。

幼稚園で否定されて帰ってきても

認めてくれる場があることで
バランスを取れてたんだと思います。

雨の日以外はチャリで往復6キロほどを
通ってました。

親子共にがんばり、そして
共に乗り越えてきたからこそ

よかったんだなと今ならおもいます。

なんでうちの子ばかりと思ったこともありましたが、
今思うと、全てはベスト

よく見えないことも必要なことで
起きてると確信に変わりました。

どんなに辛くても開けない夜はないように

春が来て花が咲くその時が必ずくるのだと
娘から学びました。

たくさんたくさんありがとう。

親子共々お世話になりました、

小学生になってもまた別の人の
手を借りつつ、一つずつ歩いていけると
いいなと思います。

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