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スケートボードパーク作りをはじめたきっかけ。

「瑞穂に面白い土地がある。」

2020年の8月頃、翔梧から電話で言われたのがスケートパークを作ろうプロジェクトのはじまりでした。

解体屋の会社を友人と立ち上げた翔梧は資材置き場を探して瑞穂町の不動産屋に行った時、今回借りる事になった土地を見つけてきました。

当時の私は就職で瑞穂町から出ていました。

不動産売買の飛び込み営業の仕事をしていました。

とにかく稼げそうだからっていう安易な理由で働いてみたら超ドブラック企業。

昔ながらのゴリゴリ営業スタイルで飛び込んだ先のお客さんに度々警察を呼ばれていました。ご迷惑かけた人々ごめんなさい。

その会社を速攻で辞めて渋谷のシェアハウスでウーバーイーツの配達をしながら惰性な日々を送っていました。

なにか、打ち込める事を見つけたかった私はこの話に舞い上がりました。

今考えてみると、翔梧はスケートボードもやらないし、会社の資材置き場の片隅にスケートボードができる場所を作れれば良いくらいに考えていたんだと思います。

それで、泰地と翔梧と休みの日に予定を合わせて土地を見に行ったのがはじまりです。


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