三九郎
正月に飾った松飾りや達磨などを燃やす小正月の火祭りのことを松本では「三九郎」という。一般には「どんどやき」という名称が最も一般的なように思われる。松本市内でも「どんどやき」と呼ぶ地域があるようだが、一部の新興住宅地が造成されている地域に限られており、これは市外の呼び方が入ってきたものと見える。松本では元来「三九郎」で通っているのだ。この三九郎という呼び名は人名や人形の名前に由来するといわれるが、定かではない。
東京から松本に来てはじめて見た三九郎はちょっとした衝撃だった。まずはその見た目。河川敷に円錐状に神木が組まれ、それに巻き付くように縁起物や正月飾りが並ぶ。なんと言っても達磨のインパクトが絶大である。
東京にいた頃には達磨を縁起物として飾るということはせず、せいぜいインテリアとしてずっと飾ってあるダルマがいるくらいであったので、達磨を燃やすということ自体も衝撃であった。
松本に来てからも、これまでは達磨を飾ることはしなかったのだが、昨年の年始に神社に参ったときにたまたま屋台で達磨が売られていたので、これを買って家に連れて帰った。その達磨も1年が経って、晴れてお役御免となった。松本生活5年目にしてはじめて我が家の達磨を三九郎で燃やすときがきたのである。
飾る際に片方の目を入れて、願いが叶ったらもう片方の目を入れるというが、昨年はとくにこれといって願いが叶ったと思われる瞬間もなかった。しかし無事に年を越せたのだから、それが何より願いが叶ったということだろう、などと思いながら目を書き入れる。そして程なくして三九郎をする河原へと達磨を運んだ。
既に町会の住人たちが集まってきており、神木が組まれていた。そっと達磨を神木の中に置く。しめ縄や松飾りを燃やすことには殆ど抵抗を感じないが、1年間家を見守ってくれていた達磨とお別れをして、況してそれを燃やすというのはいささか名残惜しい気持ちがする。達磨とお別れして暫くの間、これから焼かれようとするその大きな円錐を眺めていた。
点火は夕方とのことだった。残念ながらアルバイトがあって達磨が天に昇ってゆくとろをお見送りすることは叶わなかった。
翌朝、河川敷にはただ黒々とした焼け跡が残っているだけであった。
1年間我が家を見守ってくれた達磨が無事に天に還っことを、私はその焼け跡をみて確認するのであった。
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