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アンベードカル菩薩生誕祭

 今日はアンベードカル菩薩(インド共和国初代法務大臣、インド仏教復興運動創始者)の生誕祭です。

インド仏教復興運動とは?

 まず、インド仏教復興運動最高指導者・佐々井秀嶺上人(元インド共和国少数者委員会仏教徒代表)の弟子である髙山龍智先生の関連記事を紹介させていただきます。

 仏教がカースト制度を否定するものであることは日本でも知られてはいると思うのですが、インドで一度衰退した仏教が戦後復興している、ということはあまり知られていません。

 また、それに日本人僧侶である佐々井秀嶺上人や髙山龍智上人までもが関わっていることは、さらに知られていません。

 とても簡単に纏めると、カースト制度を積極的に肯定するヒンドゥー教の教義を捨てて、仏教に改宗する人が沢山います。自身も不可触民出身であったアンベードカル菩薩は、「カースト外階層」とされた旧不可触民の人たちを先導して、ビルマ仏教の長老の下、仏教に集団改宗をしました。今でもインドに帰化した佐々井秀嶺上人らによって毎年集団改宗が行われています。

 しかし、それに対してインドの守旧派は「改宗禁止法」を制定するなどして抑圧しています。

 日本人には「インドは自由主義国家だ!」というプロパガンダを信じている方が多いのですが、海外ではインドの「改宗禁止法」は問題視されています。

 そのことは日本の法務省も把握しているはずなのですけどね。

しかしながら、一部の州の法律と政策は、ヒンドゥー教からの改宗に対して刑. 罰を科す「改宗禁止」法の執行を含め、このような集団に対して制限的かつ差別的である

「アンベードカリズムは仏教ではない」というデマ

 髙山先生の今日のツイートにとても興味深いものがありました。

 確かに、今の日本では「アンベードカルの主張は仏教ではない!」という曲解が広まっているように感じます。(日本だけではなく、海外でもそうです。ま、日本の場合はそもそもアンベードカル菩薩の存在を知らない人の方が多いでしょうが。)

 つい最近までアンベードカル菩薩や佐々井秀嶺上人の運動をWikipedia日本語版までもが「仏教運動」と書いていました。これはインド人仏教徒を仏教徒と認めない、酷い差別です(後述)。

 アンベードカル菩薩は、カルマの存在を否定などしていません。それは『ブッダとそのダンマ』を読めば一目瞭然です。

カルマ法則はブッダによって唱えられた。“蒔いた種子は刈れ”といったのは彼が最初である。彼はカルマ法則をきわめて強調し、カルマ法則の厳しい運用のないところには道徳秩序はありえないと主張した。ブッダのカルマ法則はカルマと現世への影響にのみ適用された。(B.R.アンベードカル、山際泰男訳『ブッダとそのダンマ』光文社新書、220頁)

 ただ、アンベードカル菩薩が輪廻転生や霊魂の存在を否定しているから誤解を招くのでしょうが、これについては髙山先生の次の言葉で多くの方は理解してくださるでしょう。

 ブッダは、全ての物事は、それを成立させる要素(因)と条件(縁)が仮に集合しただけで、固定的な実体は存在しない、とした。これこそが、「無我」が真に意味するところである。条件や環境などは変わるものだからこそ、人間はそうしたものに左右されることなく平等にある。ブッダは人間平等と恒久平和を目指す大慈悲心により、不滅の自我はないと断じたのである。(髙山龍智『反骨のブッダ』コスモ21、57頁)

 お釈迦様は「霊魂(我)」という実体の存在を認めていません。アンベードカル菩薩はお釈迦様の教えを正しく解釈しただけです。

「新仏教」という差別的な言い方

 ネット上でインド仏教復興運動を「新仏教運動」と言う人がいたならば、それは差別主義者であると断言して構わないと思います。

 アンベードカル菩薩はビルマ仏教の長老の下で改宗したのであり、決して新興宗教を作ったわけではありません。それを恰も新興宗教と同じような扱いをするのは、差別です。

 私が「新仏教」という言葉を聞いて真っ先に連想したのが「新平民」という言葉です。こう言うと日本人ならばこの言葉が如何に差別的か、察してくださるはずです。

 佐々井秀嶺上人も次のように言われています。

 すなわち日本仏教徒乃至は世界仏教徒のいう“新仏教徒の信仰云々”のその新仏教徒たる言葉呼称それ自体すでに差別であり問題である。大乗法菩薩法をもって標榜する日本仏子達は何故同体大悲の温情をもって考えることをしないのであろうか。仏教徒に本来新旧の差別などはない。日本にかつて平民、新平民という言葉呼称があった。新平民という昔の部落階層の民衆を指し、一般の普通の平民に対し差別呼称の言葉として呼ばれていたことを思い出す。同体大悲の目をもって見るならば、本来人間民衆に対する新平民なる呼称などあろうはずはない。(佐々井秀嶺「『ブッダとそのダンマ』再刊によせて」『ブッダとそのダンマ』光文社新書より)

 日本の同和問題とインドの差別はとても似ています。直接の関連性があるかは判りませんが、差別戒名の中にはインドの不可触民を表す単語もあるので、中近世の差別主義者も自分たちの行為がインドのカースト制度と類似していることを自覚していたのでしょう。

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