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私が批判しているのは「過激派TRA」であって「トランス女性」ではない

 世の中、平気でデマを流す人がいるものである。何をどう勘違いしたのか、私の記事をトランス女性への批判だと勘違いして反論してくる人がいた。

 詭弁を言っているのは一体、どちらなのか。

 私は記事のタイトルにもあるように、あくまでも「過激派TRA」を批判している。

 仰られる通り、トランス女性は「女風呂に入らせろとかそういう極端な話ししてない」をしていないであろう。私が批判しているのは「そういう極端な話」を現にしている過激派TRAであって、トランス女性ではない。

 まさか「過激派TRA=トランス女性」とでも思っているのだろうか?それこそ「朝鮮総連=在日コリアン」と言うのと同じぐらいの差別行為である。

 いやいやいや、私は最初から「過激派TRA」だけを問題視してるんですが。話をすり替えているのはあなたです。

 私は人を馬鹿にするのは良くないと考える。一見、この人は読解力のないバカに見えるが、流石にタイトルも読めないバカのはずが無いので、わざと、悪意を持って話を逸らしているのであろう。

 ところで、この私に突っかかってきた「地獄の通りえもん」さんは次のツイートをRTしていた。

 これだけ読むと「トランスコリアン」という名称を「在日コリアンルーツの人びとのあり方を全く無視して」使っている人がいる、ということになる。

 まるで、肉体女性のあり方を全く無視して「トランス女性」の権利を主張する過激派TRAのような輩だと思ったが、そういう輩を批判するツイートを、どうして詭弁を弄してまで過激派TRAを擁護する人間がRTしているのか、謎であった。

 とっても猫さんの記事を読んで謎が解けた。そもそもが、逆であった。

 そもそもは「み~」さんのツイートが発端のようである。

 そう、この方は「過激派TRA」が「トランスコリアン」擁護と同じことしている、という指摘であった。在日差別の意図は全く存在しない。

 民族差別も性差別も、文化による差異だけでなく先天的な差異もあるから問題なのである。先天的な差異(例えば、肉体性別)を無視すると平等になるかと言うと、そうではない。

 民族差別については「先天的な差異の否定」とは、即ち「同化政策」である。戦前の日本で創氏改姓を推進した人の中にも「名字を日本人のものにすれば差別が無くなるだろう」という浅はかな人が存在した。

 そもそも、私は朝鮮民族への差別に反対している人には、一種の胡散臭さがあると感じる。リベラル派の中にも朝鮮民族差別や女性差別をしている人は、表に出ないだけで沢山いる。

 かつてある左翼活動家の主催する勉強会に参加した。すると、その後の懇親会で

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