平成22年6月2日、我が国の「憲政」は死んだ

 第二次安倍政権以降、この国のマスコミや論壇では「憲政史上初」とか「憲政史上例が無い」とか言った言葉が頻繁に使われている。

 ここでいう「憲政」とは「立憲政治」のことだ。「立憲政治」とは「立憲主義による政治」のことである。

 今の日本は「立憲主義の危機」である。言い換えると「憲政の危機」だ。いや、既に「憲政史」は終了している、という方が適切かもしれない。

 しかし、我が国の「立憲政治」を“殺した”犯人は、安倍首相ではない。むしろ、今「立憲主義を守れ!」と叫んでいる最大野党、そこの最高顧問、彼こそが「諸悪の根源」である。

「権力分立」こそが「立憲政治」の根幹である

 そもそも、「立憲政治」とは何か。形式的に「憲法」という紙切れに掛かれた文言を守ること、それが「立憲政治」でないことは、言うまでもない。

 「立憲政治」の定義を定めたのが、『フランス人権宣言』である。その第16条にはこうある。

権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない。

 もっとも、この『フランス人権宣言』を発表した、フランス革命の勢力自身が「権力分立」の意味を理解していなかった。そのことはフランス革命の経緯を見ればわかるが、ここでは歴史の話をしたいのではない。

 この「権力分立」の原則は、フランスのような革命国家よりも、むしろ「君主国」に合致するものであった。「権力分立」を論じた古典的名著がモンテスキューの『法の精神』であるが、そこでは権力分立の達成された「制限政体」は「君主政体」の同義語となっている。

 「専制政体」と「君主政体」を分けるもの、それが「権力分立」である。

 言うまでもなく、我が国は天皇陛下を立憲君主とする国だ。つまり、天皇陛下を戴きその下で権力分立を達成する、それが我が国の「憲政」である。

 我が国の「憲政の危機」は、過去に2度あった。

 一度目は、田中義一内閣による『治安維持法』改悪である。

 議会を無視して「緊急勅令」と称する「不要不急」の法律を制定した。当然、憲法違反である。ここから、戦前の憲政の危機が始まる。

 二度目は、占領憲法の押し付けである。

 だが、これについては『大日本帝国憲法』第13条の講和大権の発動と言う解釈の説明も可能であるし、戦後の歴代内閣も少なくとも表向きは「立憲政治」を守る姿勢を見せていた

 ところが、「2度あることは3度ある」というか、平成22年6月2日の「鳩山内閣退陣」を受けて「権力分立の原則、無視」な菅政権が誕生した。

 以後、我が国は今に至るまで「第三の憲政の危機」を迎えている。

「期限付き独裁者」になろうとした菅直人元首相

 平成22年6月2日の鳩山内閣退陣(正確には、その表明)は、菅直人副総理(当時)による「6・2クーデター」とも言うべき事件であった。

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