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エリザベス2世を描いた「ザ・クラウン」の初めの数話を見て

 日本ではかつて美智子皇太后陛下を主人公にしたドラマをあるテレビ局が放送すると忽ち炎上、再放送の予定もDVD化の予定もないと言うが、イギリスではなんとエリザベス2世を主人公とするドラマがネットフリックスで配信されている。
 私はイギリス史に無知であるが、史実かはともかくイギリス人の王質感をうかがい知ることが出来る名作だと思う。
 欧米のドラマのお約束なのか、キスシーンが幾度かあるのは気持ち悪いと思ったが、それ以外はドラマとしてのクオリティも高かった。
 もっとも、ジョージ6世やエリザベス2世を人間として描くことには違和感もあったが、それこそが天皇と国王との大きな違いなのであろう。
 かと言って政教分離が徹底されている訳では、無い。
 日本同様、イギリスの玉座にも宗教的な意味合いがある。回想シーンでジョージ6世が戴冠式の前、幼き日のエリザベスにこう語る。
「パパは変身するんだ。聖別式により神様と繋がるようになる。そしてもう元に戻ることは無い。」
 しかし、この回想シーンに至るまでの数話で「人間」としてのジョージ6世の悩みが描かれている。視聴者は聖別式を経ても実際には「変身」など出来ないことを知りながら、エリザベスの戴冠を視ることになる。
 さて、興味深いと思ったのが、エリザベスの名字についてであった。
 夫のフィリップはマウントバッテンを名字としており、当時のイギリスの明文化されていない慣習法では結婚すると夫側の名字を名乗ることになっていた。慣習法とは言え不文憲法のイギリスではその効力は成文法と変わらず、例外は無かったと言う。
 そんな男尊女卑な法律が戦後にもあった欧米が、戦前から妻の名字を家名にすることを認めていた日本の夫婦同氏制度に「女性差別」のレッテルを貼るのであるから、欧米人のダブルスタンダードは酷いものである。もっとも、それに反論もせずに「夫婦同氏は女性差別だ!」と叫ぶ日本人の方が救いようが無いが。
 あまり話を逸らしたくないので簡潔に言うが、私は夫婦で名字が違うことには反対していない。そもそも、夫婦別氏は既に国際結婚でも行われていることであり、国内結婚で夫婦別氏が認められていないのは国内結婚は「夫婦同籍」だから同一戸籍同氏の原則があるため認められないからであって、夫婦別籍を解禁するのであれば当然夫婦別氏も認められることになる。
 多様な家庭のあり方を、というのであれば、夫婦別籍も解禁しないといけないはずなのであるが、何故か今の夫婦別氏推進派は「夫婦同籍を前提とした夫婦別氏」に拘る。不思議なものである。

 話を戻すと、エリザベスは夫の言うとおりに改氏をしようとするのであるが、それをチャーチル首相が阻止した。
 当たり前である。君主が配偶者の言いなりになってはいけない。チャーチル首相の行為こそが本来の保守派なのであるが、今の日本会議には通じそうにない話でもある。
 何しろ一部の日本会議系の人間は、政府が今内親王殿下や女王殿下が婚姻後も皇籍を維持する形での女性宮家を検討していることに対して、反対しているのだ。結婚すると夫の家に入らないといけないと思っているらしい。制度では日本の方がイギリスよりも遥かに男女平等であるが、どんな進んだ制度であってもその精神を理解している保守派がいないと正常に機能しない。
 また話は逸れるが、内親王殿下や女王殿下が夫の戸籍に入ったまま皇族として活動するのは、確かに違和感を抱く人もいるだろう。だからこそ、夫婦別籍の議論が必要であると私は思う。
 さて、このように英雄視されることの多いチャーチル首相であるが、第4話「神の御業」ではそのチャーチル首相の「老害振り」が描かれる。
 ロンドンで後に「ロンドン・スモッグ」と呼ばれる光化学スモッグが発生する。大気汚染による病人が続出した上に、あまりにも濃い霧の為空港は閉鎖、鉄道や自動車は交通事故を起こしまくる。結果、5日間のスモッグで1万人以上の人が死ぬ大惨事となる。
 実はこれ、予測されていた災害であった。
 火力発電所の増設で大気汚染が深刻化していたことから、その日にスモッグが発生することまで、全て判っていたのである。にも拘わらず、チャーチル首相は事前に何ら手を打たなかった。
 何しろ、火力発電所の増設はチャーチルが推進していた政策なのである。彼にその政策を撤回する気はなかった。
 これを見て、私は東日本大震災を連想した。
 中曾根康弘先生や石原慎太郎先生と言った保守派の政治家たちは、原発をそれまで推進してきたが、福島第一原発事故の後も方針を改めることは無かった。とても残念なことであった。
 逆に同じ保守派でも小沢一郎先生や稲盛和夫先生、亀井静香先生、河村たかし先生らは卒原発を掲げて日本未来の党を結党された。私も保守派であるが、こちらの系統の人間である。
 さて、ドラマに話を戻すと当時の野党は「チャーチルにもっと失敗をさせて世論が怒るのを待つ」とばかりに内閣不信任案提出を見送り、一方被害の深刻さにスモッグ最終日の時点で気付いたチャーチルが先手を打ってスモッグ対策を訴える、という結末になるのだが、どこまで事実かはともかくリアルな描写であった。
 もしも今の日本で野党が気候変動対策や原発ゼロの法案を提出し、そして与党にも先手を打ってそれを野党より先に実現するだけのしたたかさがあればいいのだが、残念ながら与野党ともに犠牲者が出てからでないと目が醒めないのであろう。否、福島第一原発事故の後も原発を推進している自民党に至っては、犠牲者が出ても目が醒めない怖ろしい政党であると言うことか。

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