見出し画像

法隆寺薬師仏光背銘「純漢文」説の検討

 筑紫朝廷(九州王朝)が倭国内部における中央集権化を進める際、大和朝廷の祖先(以下、大和政権)がどのような反応を見せたのか、九州王朝の存在を抹消した『日本書紀』には記されていない。だが、九州王朝の「分流」である大和政権において「九州王朝の影響」が全く存在しなかったことは、あり得ないだろう。
 本稿ではまず「大王天皇」という奇怪な称号の出現する「法隆寺金堂薬師仏光背銘」の内容を分析し、この銘文が本来は純粋な漢文調であったこと、法隆寺が大和の「大王」の要請を受けて九州の「天皇」が建立した勅願寺であったこと、を論証する。

ここから先は

8,871字
この記事のみ ¥ 300

ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。 拙い記事ではありますが、宜しければサポートをよろしくお願いします。 いただいたサポートは「日本SRGM連盟」「日本アニマルライツ連盟」の運営や「生命尊重の社会実現」のための活動費とさせていただきます。