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私の提案する”選挙制度と地方自治の一体改革”案「州評制」について

 先日、私は「日野智貴の政策」と題する文書の中で次のように記し「州評制」導入を明記しました。

・最終的には、現在日本に8つある道の改組と言う形で広域自治体としての州を設置し(例;北海道→北海州、山陽道→山陽州)、畿内州・琉球州を新たに設置して十の州を設けた上で、基礎自治体は全国で人口約30万人規模の400の評に再編することにより、地方分権の受け皿となる地方の実情に合った自治体を設置します(州評制)。
・州評制導入後は、概ね明治22年の町村制施行時の町村の区割りを基に現行法で言う総合区に近い権限を持った「郷」を設置し、各地域の住民に身近な行政サービスを提供します。

 この州評制は私が中学生の頃から主張しているものであり、今でも地方自治改革における最良の策であると考えていますので、説明させていただきます。

出発点は小沢一郎先生の『日本改造計画』

 私が小沢一郎先生の支持者であることはご存知の方も多いでしょうが、中学生の頃、古本屋で小沢一郎先生の『日本改造計画』を読み小沢先生の先見の明に感動したことを覚えています。

 例えば小沢一郎先生は人間中心主義からの脱却を訴えていました。

 一九七二年六月、ストックホルムで国連人間環境会議が開かれ、人間環境宣言が出された。世界は、これを契機に地球を救えると確信したものだ。
 ところが、地球の現状はどうか。自然環境は改善されるどころか、ますます悪化の度を強めている。世界中の人々が集まって強い決意を示したにもかかわらず、である。
 どこに原因があるか。それは、人間中心主義だからである。宣言文の中に、次のような一節がある。
「万物の中で、人間は最も貴重なものである。(中略)労働の努力を通じて人間環境を変えてゆくのは人間そのものである。社会の発展、生産及び科学技術の進歩とともに、環境を改善する人間の能力は日に日に向上する」
 人間は自然環境に君臨し、環境を自由自在に変える権利と能力を持っている、という思想が根底に流れている。その後の環境悪化は、この思想が間違いであることを示している。さらには、人間の生き方の変革を迫ってもいるのである。
 これまで世界を動かしてきた西洋的価値観の基本は、人間が自然を征服し、支配することにある。その手段として科学技術が発達してきた。それによって人間は自然を克服し、支配の度を強めることに成功したかに見えた。現在の大量生産、大量消費の社会はその結果生れたわけだが、いま、そのツケを一度に払わされる羽目に陥っている。それが今日の環境問題である。
 すなわち、環境問題の根本は人間の「生き方」の問題なのである。人類は、人間による自然支配という西洋的価値観から、人間は自然の一部であるという東洋的価値観への転換を迫られている。
(小沢一郎『日本改造計画』174~175頁)

 この小沢一郎先生の主張が単なる政治的パフォーマンスでは無いことは、小沢一郎先生が「人間中心主義からの脱却」を選挙の争点にするようなことはせず(政治的パフォーマンスならば選挙の時にアピールしている)、むしろ「選挙の神様」と言われた小沢一郎先生が敢えて民主党を集団離党し環境問題に積極的な日本未来の党に参加したという事実からも伺えます(結果、多くの小沢派は落選した)。

 また、この経緯は私が立憲民主党に合流した理由の一つでもあります。私は日本未来の党の後継政党として国民民主党に入党しましたが、国民民主党分党の際、新国民民主党は日本未来の党から旧国民民主党まで一貫して掲げられていた「原発ゼロ」の方針を棚上げにしてしまっていました。私にとって立憲民主党への合流は「変節」ではなく、むしろ筋を貫いた結果です。

 なお、外国人労働者問題についても小沢一郎先生は今の日本の状況を予見するようなことを書いていました。

 肝心なのは、外国人労働者を安く使える労働力として扱うのではなく、国が国際貢献の一環として、彼らの母国の経済発展を支援する、という姿勢なのである。
(引用前掲書、174頁)

 政治についてよく「今だから言えることだ!」という方がいますが、今の日本の問題点の多くは何十年も前から指摘されていたということは特筆すべき点です。

小沢一郎先生の基礎自治体再編論

 さて、本題に入ると小沢一郎先生は基礎自治体再編論を唱えていますが、その内容は小泉改革における「平成の大合併」とは似て非なるものです。

 小沢一郎先生の主張の要点は、許認可行政をほぼ全て地方に移管して、中央の官僚が効率的に働けるようにすることにあります。

国政改革の第一歩は、国民生活に関係する分野を思い切って地方に一任することだ。

 小沢一郎先生の主張の主題は中央と地方の役割分担を明確にし、そして地方に権限を委譲にすることにあります。これにより中央の官僚も効率的に国家全体のために働けるのみならず、地方も効率的な行政サービスを行えるようになります。

 しかし、小沢一郎先生の主題はその地方分権を基礎自治体再編と一体的に行うことにありました。

 このように改革すると、国は人員、予算とも余力が生じる。仕事が増えるはずの地方自治体も、効率的な人員配置が可能になる。現在、地方には、国による監督や規制に対応するための人員が配置されているが、国の関与がなくなるとそういう人員が不要になるからである。地方はこれらの人材を生かして、地域の活性化のための企画により一層力を注ぐことができる。
 受け皿である地方自治体も再編しなければならない。国から移譲された権限に耐えうる体力がなければならないからだ。
 そこで、現行の市町村制に代えて、全国を三百ほどの自治体に分割する基礎自治体の構想を提唱したい。ここでは基礎自治体を「市」と仮称しておこう。
(引用前掲書、85頁)

 これは小泉改革で推進された「平成の大合併」や「三位一体の改革」とは全く異なるものです。小泉改革では「地方には、国による監督や規制に対応するための人員が配置されている」状況に変化はありませんでしたから。

 また、小泉改革以来永田町で叫ばれてきたのは主に「道州制導入」の是非、つまり「広域自治体の再編」であって「基礎自治体の再編」ではありませんでした。平成の大合併というのも、あくまでも「現行の市町村制」を維持したものであって、再編後の明確なビジョンはありませんでした。

 小沢一郎先生の案は恐らく飯尾潤教授の主張を容れたものだと思われますが、基礎自治体再編後のビジョンを示している点が「平成の大合併」よりも優れていると言えるでしょう。逆に小泉純一郎元首相は地方分権の部分まで竹中平蔵氏の主張を採用してしまったのかもしれません。適材適所は大切です。

 基礎自治体としての「市」の具体的な運用に関連してさらに触れておくと、従来の市町村より規模が大きくなるので、住民の日常生活に密着した最も身近な仕事、たとえば近隣公園の整備、住民登録などについてきめ細かい対応ができなくなる恐れがある。このため、現在の政令指定都市のような「行政区」を導入するのも一つの方法である。
(引用前掲書、88頁)

 この部分も、お気付きかもしれませんが「日野智貴の政策」における「郷」の元になったアイディアです。これは平成の大合併の負の側面を事前に予測しその対応を訴えたものと評価できますが、小泉改革ではこのような部分は殆ど検討もされませんでした。

 小泉政権も飯尾教授の主張を反映させていたはずですが、小泉元首相は細部まで考えていなかったのかもしれません。飯尾教授は小泉政権時代に次のように述べていました。

改革という言葉がひとり歩きして、いつまで経っても改革の中味が明確にならないという問題点です。たとえば、小泉総理は、改革を進めるに際して、細目について詰めることはなく、ただただ改革と言う。みんなで細目を詰めろというんだけれども、下の人たちは目的を共有していないので、非常に混乱が生じている。
だから、改革という言葉だけ出しているが、改革という政策が構造になっているというイメージかない。「構造改革」という言葉は出てきたが、その中味が明確ではない、それに大きな決定ができないから、改革しなければいけないという意識だけは高まっていって、言葉だけは非常に過激化していく。それが、ますます実態と遠くなるので、実現不可能な政策が唱えられるという病気をもたらした。
(独立行政法人経済産業研究所「なぜ改革は進まないか。日本の政策決定システムの問題点とは?」

 より正確には、小泉政権下における「構造改革」には「新自由主義推進」以上の意味は無かったのでしょう。地方自治体の具体的なありようはそもそも小泉首相の関心の外であって、「下の人たちは目的を共有していない」どころか「上の人にも目的は特にない」状況であったと思われます。

広域自治体は不要なのか?

 これまで述べてきたように私は小沢一郎先生による改革案の方が小泉改革よりも優れていると考えているのですが、小沢一郎先生の主張に全面的に賛成ではありません。実はそれこそが「州評制」を唱えた理由なのです。

 中学生の頃、生意気にも私は小沢一郎先生の「広域自治体不要論」とも言うべき主張に「これには反対だ!」と思いました。

 私は、地方自治体は一層制(基礎自治体のみ)がよいと思っている。将来は、いくつかの県にまたがる州を置くことも考えられようが、基本的には、行政をわかりやすくし、地域住民に密着したものにするためにも、その方が望ましい。
(小沢一郎『日本改造計画』85頁)

 これを見る限り、小沢一郎先生は明らかに「都道府県廃止」を主張しています。将来的には道州制導入も検討はするとは言っていますが「基本的には」やはり「基礎自治体のみ」の方が「望ましい」と言い切っています。

 政治家がここまで思い切ったことを言うのは珍しいですから、これは小沢一郎先生の本音なのでしょう。

 さすがに飯尾教授は学者らしく、次のように予防線を張りに張った表現をしていますが、一層制(都道府県廃止)を肯定的に評価しているのは一緒です。

基礎自治体を統合して全国でおおむね300という数の地方政府を作って、 都道府県レベルの地方政府を廃止し、 一層制の地方制度を作ろうという提案である。 ここでは都道府県が中間管理職的な機能を担っているものの、 その調整がむしろ桎梏となりつつあるという判断と、 市町村レベルの直接住民に接触する地方政府を基本とすべきで、 その能力強化のために、 合併を行うべきだという判断がもとになっている。 基本的なところでは、 なかなかよく考えられた案ではあるが、 これまでの地方政府を廃止して全く新しい地方政府を構成することが混乱を招くのではないかとか、 300の地方政府が直接中央政府に相対する形を取ることになるが管理可能な数を超えているのではないかとか、 この規模の地方政府では中央政府に対してかえって立場が弱くなるのではないかとか、 多様な地方の状況をひとくくりにして一挙に地方政府を再編することが現実的なのか、 といった問題点も指摘できよう。
  こうした諸提案を検討すると、 地方分権というとき、 地方政府ごとの差異にもう少し敏感である必要性が見えてくる。 特に人口稠密な大都市圏と、 過疎に悩む農山漁村圏では、 地方政府の課題も能力もかなり異なるのであって、 一つの尺度では問題を解決しがたいといえよう。
  大都市圏では、 すでに政令指定都市制度があって一層制に近い構造になっているところも多いが、 これをもう少し徹底すれば、 大都市の地方政府は一層制にもってゆくことも可能であるし、 その方が行政資源が集中して望ましいだろう。 しかし問題は、 一部の都市は規模が大きすぎて、 基礎的な地方政府としてはやや機能不全になりかけていることである。 例えば東京都は、 過大規模が問題となる状況 (都庁の迷宮化) が見られるし、 横浜市などもそれに準ずる問題を抱えている。 その点を、 自治体分割で解決する政策や、 もう一層下のレベルの政府を作るという政策も考えられようが、 当面はむしろ地方政府内の分権をいかに進めるかというむしろ地方政府内部の構造に工夫が必要であろう。
  また大都市では近郊都市を中心として過小規模の地方政府の問題も放置できない。 それは通勤圏となっているような地域において、 相対的に規模の小さな地方政府が数多くあるものの、 ばらつきが大きく、 また領域に自己完結性が不足しているため、 十分な行政サービスを提供できないとか、 分権が進んでも現状以上の政策展開が難しいといった問題である。 これは鉄道沿線など、 生活圏に配慮しながら合併を進め、 政令指定都市的な一層制の地方制度に移行するのが望ましい。
  このように大都市圏が一層化すれば、 道府県はどちらかといえば農山漁村圏に撤退してゆく (ちなみに県庁も、 一層化した地域を避け、 そうでない地域に移転してゆくべきであろう) という状況をイメージすることができる。 そうした地域では、 人口をもとに基礎自治体を合併すると面積が大きくなったり、 合併してもなお基礎能力が不足したりということが予想されるので、 中間地方政府としての道府県の役割もそれなりに存在すると考えられる。 そこで道府県は、 基礎的地方政府のサポート役として、 財政に限らず人材やノウハウといった資源を再配分したり、 中央政府からの政策実施を調整したり、 基礎的地方政府の要望を集約したりという機能を果たしてゆくことになる。
  このような、 いわば漸進的一層化の過程で、 どのような政策課題を、 どのような規模で考えるのがいいのかが、 例えば介護は、 医療は、 年金はといった形で問い直されざるを得ない。 さらに、 政府が提供すべきサービスか、 民間でも提供できるものなのかという検討もなされるはずである。 そうすれば中央政府の政策課題も変わってくるし、 地方政府が備えるべき能力も明確になってくる。
(飯尾潤「地方分権の構造的意味」

 しかし、同じ学者でも新政党時代から日本未来の党結党まで一貫して小沢一郎先生を支持していた植草一秀先生は、もっと過激です。彼は「廃県置藩」論を提唱しています。

政府支出削減の効果を考えれば、重要なのは地方議員の削減だ。日本の地方公共団体数は99年段階では約3500団体あり、地方議会議員と首長は合計で6万8000人も存在した。その後、平成の大合併により、地方公共団体数は約1700にまで減少し、議員と首長の定数合計は3万9000人に減少した。
一定の効果が生まれたことは事実だが、地方公共団体の統合は利害と打算によるもので、全体としての整合性が取れていない。
私は、日本の地方自治体を人口約40万人の300団体に整理再編すべきだと考える。この基礎自治体に強い行政権限を付与する「廃県置藩」を断行して中央集権から地方分権に大きく舵を切ることが重要だ。300団体に20人定員の議会を設置するなら、首長と議員定数の合計は6300人にまで削減できる。
(植草一秀「「廃県置反藩」を断行して地方分権を実現せよ!」

 植草一秀先生と言うと一般に新自由主義反対の論客であると思われていますが、この「政府支出削減の効果」と言うのは明らかに新自由主義の発想です。議員と首長を合わせて現在の「6分の1未満」にしようというのですから、維新の会もビックリな「身を切りまくる改革」です。

「廃県置藩」論はそもそも前提が間違っている

 そもそも植草一秀先生は歴史学の専門では無いので仕方ないのかもしれませんが(私も近世史・近代史については素人ですが)、「廃県置藩」論は前提が間違っています。

 まず、藩は基礎自治体ではありません

 藩は大名による支配単位への俗称で、大名が支配したのは土地ではなく人です。一つの村に別々の大名の支配下にある人たちが共存していることもあったほどです。

 明治2年(西暦1868年、皇暦2528年)に明治政府によってようやく藩は自治体としての体裁を整えられましたが、この藩は今の都道府県の前身です。

 今の基礎自治体としての市町村の前身になっているのは、江戸時代の町村です。廃藩置県後には基礎自治体として大区・小区制が施行されましたがすぐに廃止され、明治22年(西暦1888年、皇暦2548年)に町村の大規模な合併が推進されて(明治の大合併)市町村制が施行されました。

 無論、植草一秀先生は「日本の地方自治体を人口約40万人の300団体に整理再編」することを便宜的に「廃県置藩」と言っている訳ですが、人口約40万人と言うと中核市レベルです。中核市レベルの自治体で議員定数が20人とは、あまりにも少なすぎます。

 兵庫県の中核市で言うと、人口約30万人の明石市でも市議会の議員数は30人です。地方分権を推進するのであればもっと増やすべきであり、議員を減らしたうえで権限を強化するというのは、寡頭制への途を開くものです。

 私はむしろ市議会の定数は増加させるべきだと考えています。

 公式サイトでは私の住んでいるたつの市における具体的な区割りと定数の案も示していますので、よろしければご参照ください。

都道府県の枠組みには確かに問題がある

 一方で、私は都道府県の枠組みを維持するべきである、等とは毛頭考えておりません。何故ならば今の都道府県の区割りは地方住民の生活も歴史も反映していないからです。

 例えば私の住んでいる兵庫県。

 播磨国、但馬国、淡路国、それに丹波国と摂津国の一部、さらには美作国と備前国も少々、加わっています。

 あ、正確に言うと石井村と大字中山は『岡山県兵庫県境界変更並福岡県大分県境界変更法律』第1条の規定に基づき「兵庫縣播磨国佐用郡ニ編入」されています。なので兵庫県内に美作国の領域はありません。昔は美作国でしたが、今では播磨国です。

 一方、赤穂市福浦地区は元々岡山県で且つ備前国でしたが、赤穂市への編入に伴い兵庫県となりました。一方、福浦地区を播磨国へ編入する手続きは行われなかったので、まだ備前国のままです。鉄道駅も「備前福河駅」で電力会社まで中部電力です。

 なので兵庫県は播磨・但馬・淡路の全域と丹波・摂津・備前の一部と言うことになります。備前と美作とを同じように扱って「お前ら知らんだろ~」みたいな知識自慢をする人がいたら、彼には「無知の知」ということを教えてあげましょう。

 さて、6国にまたがる兵庫県には「県としての一体感」など、ありません。摂津国である阪神地域と播磨地域とを繋ぐ唯一の細い線が、JRの新快速です。

 とは言え、新快速に乗っても神戸・阪神地域からすると「もっとも播磨寄り」の新快速停車駅である神戸駅から最初の播磨の新快速停車駅の明石駅まで12分、一方で「もっとも大阪寄り」の新快速停車駅である尼崎駅から最初の新快速停車駅である大阪駅まではその半分以下の5分と、大阪の方が播磨よりもはるかに近くです。

 「いや、それはちょっと恣意的やろ!」という方、では中心地同士で見ましょう。姫路駅から三ノ宮駅まで39分、対して大阪駅から三ノ宮駅まで27分。はい、県庁のある三ノ宮からは播磨よりも大阪の方が近いのです。

 そんな感じで都道府県の一体感なんか、存在しません。「県民性」など幻想です。神戸の皆さんが播磨みたいにお祭り騒ぎをしているとは聞いたことがありませんし、姫路市に神戸マダムなどいません

 一方で広域自治体自体が不要かと言うと、そうは言えないです。簡単な例で言うと県立博物館のような施設は広域自治体の役割を簡潔に示していると言えます。

 教育行政で言うと、高校や大学は主に広域自治体が、小学校や中学校は主に基礎自治体が、それぞれ設置している訳です。高校や大学となると学生・生徒の通学範囲も広くなりますから、やはり広域自治体の役割は大きいと考えます。

 それではどのような広域自治体と基礎自治体ならばいいのか、というのが問題になります。そこで私が中学時代からずっと一貫して訴えているのが州評制です。

日本に存在する二種類の区分け

 さて、今の日本の地方の区域別には二種類あります。

 一つは「都道府県・市町村」で、これは行政が主に使っています。

 もう一つは「道・国・郡」で、これは古代から存在する由緒ある区分です。今でも廃止はされていません。

 もっとも「道・国」は樺太、沖縄、伊豆諸島、小笠原諸島には適用されていません。また「郡」は全国の市と伊豆諸島、小笠原諸島には適用されていません。

 だから「道・国・郡」には含まれない地域もあります。伊豆諸島や小笠原諸島は歴史的に一度も「道・国・郡」のいずれにも属したことがない地域です。

 とは言え、私は「兵庫県たつの市」に住んでいると同時に「山陽道播磨国」にも住んでいる訳です。

 明治政府は敢えて「道・国・郡」を殆どそのまま残して(郡は市制施行地が除外されていきましたが)、藩と町村の再編という形で「都道府県・市町村」の単位を確立したのです。この方法は私たちも見習うべきであると考えます。

 つまり、私の主張する州評制と言うのは「都道府県・市町村」の再編を行うものではないということです。

 ではどうやって州評制を実行するのか。それは「道・国・郡」の再編を行う、と言うことです。

 今の日本には北海道を含めると8つの道があり、それに畿内と沖縄とがありますが(樺太除く)、これらをそのまま州へと移行します。都道府県は行政機関としては廃止します(つまり道と都府県の現状を逆にする)。

 こうして日本に10の州を設ける、そうすると複数の道に跨る兵庫県や京都府、三重県は事実上分割されることになりますが、例えば兵庫県と京都府で言うと但馬・丹後・丹波の諸地域は鳥取・島根と一緒に山陰州を結成した方が歴史的にも自然であるのみならず、山陰地方における課題に共同で対処出来たり神戸市や京都市へのストロー現象を防ぐことも出来るようになると言った具体的な効果も存在します。

 将来的には山陰新幹線も通す、この山陰新幹線も現在の計画では大阪から山陰地方に向かうものですが、やはり山陰道と言う事であれば京都から出発した方がいい、でないとストロー現象を招くことにもなります。

 なお私の理想は「小浜――舞鶴――鳥取――松江――下関」ルートで、つまり北陸新幹線と接続して日本海側だけを通る新幹線を通すと言うもので、これは国民民主党の友達にも賛同を得られたものですが、新幹線ネタは話が逸れるのでこの程度にしておきます。

 神戸・阪神地域は大阪・奈良に京都の山城国と畿内州を構成する、或いは、山城国は皇都として独立して神戸・阪神・大阪・奈良の組み合わせでも良いです。そうなると阪神と近鉄の鉄道網が主体になりますね。

 神戸・大阪・奈良はそれぞれ個性的な街ですから、同じ州にしても大きな問題はおきません。経済圏的にはこの三者は既に一体化しています。

 私の住んでいる播磨は山陽州になり、岡山や広島と一緒になります。唯一の懸念事項は岡山と広島のどちらを州都にするかでかなり揉めるであろうことです。ただ、明石焼きと広島風お好み焼きとの同盟は確実に期待できます。大阪では通じないであろう定義の「玉子焼き」「お好み焼き」の二語が山陽州の必須教養となることでしょう。

 広域自治体の役割の一つが、大学と高校の設置です。高校の設置は基礎自治体に移管しても良いかもしれませんが、それでも高校入試は基礎自治体単位ではなく広域自治体単位の方が良いでしょう。播磨だと今でも神戸大学みたいな県外からも志願者が殺到するような大学はともかく、岡山大学も上位の国公立大学と認識されています。だから高校生のニーズも「兵庫県」という括りよりも「山陽州」という括りで把握した方がいい場面も実際にある訳です。

 なお、地方分権の推進に伴い国立大学も旧帝大を除き州立大学へと移管するべきだと私は考えています。そもそも今の国立大学は「国立」と言いながら「独立行政法人」であって、研究費調達に各大学の自助努力が求められ、年々予算も減らされ非正規教員も増えており、もう国立の意味が無い状態です。

 独立行政法人でも国庫支援は現に受けていますから、州立大学にしても国庫支援を受けることは当然可能です。その上で、より地元に密着した研究や教育を行える体制を整えていきたいです。これは州評制導入だけではなく、大学予算への政府紙幣適用等の法整備も必要とはなりますが、それも基礎自治体や現行の都道府県では難しいことでしょう。

 例えば岡山大学が県立になるとした場合、それが岡山県立大学と合併するか岡山県が県立大学を2つを作ることになるか、いずれにせよ県外からの学生は減る可能性が低くはない、県外の県立大学に行ってはいかんと言うルールは無いけれども国立大学と県立大学では県外からの進学率がやはり異なるものですが、州立大学だと播磨からも広島からもやってくるようになります。また、地域に根差した研究と言っても岡山県立だと岡山県内の研究機関との連携である、兵庫でも兵庫県立大学は兵庫県内の機関と連携している、縦割り行政である以上県外との連携は難しいわけですが、「山陽州立岡山大学」だと播磨にある県立の研究機関も山陽州の所管になる、播磨には西はりま天文台みたいな最先端の機関もある訳ですが、そことの連携がしやすくなります。

400の基礎自治体「評」の設置を

 そうして次は基礎自治体の再編に移りますが、これも植草一秀先生の言われたような「身を切る改革」型ではない再編を行います。その詳細はまた別の機会にするとして、ここでは基礎自治体の名称をどうするか、等の概略的なことを述べます。

 小沢一郎先生は基礎自治体の名称を「市」と仮称している訳ですが、あくまでも「仮称」であるものの、やはり市町村再編を考えていたようです。しかし、私は市町村の枠組みはそのまま残したいと考えます。

 市町村も行政単位ではなく「播磨国」や「揖保郡」と言った地域名として残します。逆に今度は「揖保郡」とか「佐用郡」とか言った郡の方を再編して行政単位にしてしまいます。

 今の日本では市の領域は郡ではない訳ですが、群を再編すると同時に拡大して市の領域も含ませ、そこに「評」を設置します。そして全国に人口約30万人規模の評を400ほど設置します。

 市町村再編の形式をとらない最大の理由としては、これは平成の大合併とは異なり政令指定都市や大規模中核市はむしろ「分割」されるからというのがあります。

 平成の大合併では市町村合併が推奨され、大規模中核市や政令指定都市が増えていきましたが、それで本当に住民サービスが向上されたのか、は疑問です。むしろ規模の大きすぎる基礎自治体には色々と不都合が出ているように感じます。

 お隣の姫路市で言うと、姫路市には50万人を超える人たちが住んでいます。しかしながら、かつて昭和の大合併で姫路市に併合された旧飾磨市の地域は合併前よりもむしろ人口が減っています。姫路市街地へのストロー現象が起きているのです。

 また神戸市を歩いていると「三宮一極集中に反対」というポスターを貼っておられる市議の方がおられましたが、政令指定都市でも同様のストロー現象は起きているようです。

 とは言え、市の廃止となると反発も起きるので、市という地域名は残した状態で、評を設置する訳です。市民の文化財的なものが市の財産としてあるならば財産区のような形で市を残しても良いでしょう。

 播磨国だとだいたい7つの評に再編されます。ここにはかつて12の群がありましたから、その頃と比べると減ることになりますが、それ自体は過疎化もあるから仕方がないです。

 ただ、人口30万人と言ってもそれでも田舎だとかなり広い面積になりますから、明治22年時点における町村を基準に「郷」を設けて、そこには現行法で言う「総合区」並みの権限を与え、また評の議会は中選挙区比例代表連立制として選挙区は郷を単位とするようにします。議員定数は「身を切る改革」どころか、むしろ増やします。

 そして衆議院の小選挙区もこの評を単位にします。

 この案の詳細はまたの機会に述べさせていただきます。

ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。 拙い記事ではありますが、宜しければサポートをよろしくお願いします。 いただいたサポートは「日本SRGM連盟」「日本アニマルライツ連盟」の運営や「生命尊重の社会実現」のための活動費とさせていただきます。