加古川遷都論と多摩地区遷都論
神戸新聞に興味深い記事が載ったという。それは兵庫県の加古川に遷都する計画があった、というものだ。
国土交通省の公式サイトにもそのことは記されている。
「陸軍では、関東大震災直後の9月6日に、今村均少佐が武藤信義参謀次長の命令で遷都先についての意見書案を作成している。この意見書案の中では、東京が震災や防空対策の上で首都として不適格とした上で、ソウル南方の竜山、兵庫県加古川、東京の八王子を具体的な移転先としてあげている。」
今村均と言えば、大東亜戦争の時にインドネシア独立運動を支援したことで知られる。
因みに、これには落ちがあって、当時の政府はインドネシアを独立させる気は無かったこともあり、今村均は政府や大本営と対立した。今村均の後任は一転して抑圧的な政策を取ったが、結局戦局の悪化でインドネシア独立運動家の協力が不可欠となり、日本政府はインドネシア独立を約束することとなる。
こうした日本政府の対応のブレがインドネシアの反日運動家を利する所となっている。そして今の日本人の多くは、そもそも今村均の存在を忘れてしまっている。
さて、話を戻すと今村均が首都機能移転の第一候補を朝鮮にしたのも興味深い。
新たに領土を併合した場合、被併合国の国民の不満を和らげる一番の方法は、被併合国の方に首都を設けることである。天皇陛下が朝鮮に住まわれていたら、戦後の韓国の反日運動も、少なくとも天皇陛下を侮辱するレベルにはならなかったかもしれない。
さて、戦後の日本にも参考になるのは、加古川遷都と多摩地区遷都の構想であろう。
私は播州人として、加古川遷都を推したい気持ちは強い。ただ、いきなり加古川に皇居も国会も首相官邸も持ってくる、となれば、経済への混乱も大きくなるであろう。
そうすると、候補として挙がってくるのは、八王子市への遷都となる。つまり「多摩地区遷都」だ。
実は私も多摩地区遷都構想を思いついていたし、それはまさに八王子市に行って思いついたのであるが、同時に「こんな場所への遷都は先行した提言があるはずだ」と思って探したものの、なかなか見つからなかった。
ところが、実は今村均が戦前の段階で多摩地区遷都を構想していたのである。
多摩地区への遷都であれば、同じ東京大都市圏と言う経済圏の内部での首都機能移転であるから、経済の混乱は起きない。
今の時代は、遷都の際に皇居は寝殿造りにして首相官邸と国会はゼロエネルギービルディング(ZEB)とし、エコロジーと伝統とをアピールするという手もあるだろう。多摩地区は都心部よりもZEBの建立も容易であると考える。
東京嫌いの私は一気に加古川遷都まで持っていきたいものであるが、そこは我慢せざるを得ないであろう。
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