見出し画像

日本の“左傾化”を象徴する「ネトウヨ」という現実

 冒頭の写真は、脱原発を訴える右翼活動家のデモを捉えた写真だ。だが、見るからに人数が少ない。

 このデモだけでは、無い。マスコミでも、ネットでも、いわゆる「右寄り」な主張をするのは、決まって「原発賛成・安倍政権支持」の人達であって、「原発反対・安倍政権反対」の立場の“右翼”には、殆ど出番が無いのが現状だ。

 しかし、それでは「原発賛成・安倍政権支持」のような、ステレオタイプな「右寄り」の人間は、本当に「右翼」と言えるのだろうか?

 マスコミは「日本が右傾化した」という。事実、ネット上では「ネトウヨ(ネット右翼)」と呼ばれる人間が“幅を利かせている”。だが、その現状を精査すると、見えてくるのは我々「右側」の人間にとって、愕然とする現実である。

 結論から言おう。

 日本は、完全に、左傾化している。

第一次安倍内閣という“ターニングポイント”

 私もかつては安倍政権を支持していた。小学3年生の頃だ。

 当時の「安倍政権」とは、第一次安倍内閣のことである。この政権は、(少なくとも外見的には)本気で「戦後レジームからの脱却」を掲げていた。

 『教育基本法』の改正に『憲法改正国民投票法』の制定――幼い頃から「尊皇愛国」の家庭に育った私にとって、小学生の頃には「憲法改正賛成」は「困っている人を助ける」「信号を守る」「地球環境のことを考える」「友達と仲良くする」等と言ったことと同じぐらい、自明の「善」であった。

 そして、安倍政権ならば憲法改正を成し遂げてくれるかもしれない――そういう期待があったのだ。

 無論、憲法改正反対の世論があることは知っていた。私の家の新聞は『朝日新聞』である。それを読むといわゆる「護憲派」がやたら安倍政権(というよりも、憲法改正そのもの)を非難していた。

 だが、それだけ『朝日新聞』が「改憲反対」の論陣を張っている割には、よく新聞記事を読むと世論調査でも「改憲派」が「護憲派」を上回っていた。

「『朝日新聞』はやたら護憲派を持ち上げているけど、改憲派の方が数が多いじゃないか!」

 幼心に私はマスコミへの不信感を持った。そして、改憲派の勝利を確信していた。

 何しろ、当時の自民党は郵政選挙で圧勝したばかり。当時最大野党であった民主党は『憲法改正国民投票法』へ一応「反対」の立場を示しはしたものの、小沢一郎代表(当時)からして採決の際には「欠席」したほど。その頃の民主党は今の立憲民主党ほどには護憲色は強くなかった。

 そんな私が、一つ疑問に思ったのは『憲法改正国民投票法』において「凍結期間」なるものが定められたこと。これは「この法律が制定されてから3年間、憲法改正の発議はしない」と言うものである。

 そんなことをしていたら、次の総選挙で自民党が敗北すると、憲法改正は遠のく。どうして自民党が有利な時期にわざわざ「凍結期間」などを設けたのだろうか?幼い私の脳内に大きな「?」が生まれた。

 「野党への妥協」――私のみならず、多くの人はそう思っただろう。だが、その時の与党は衆議院で3分の2の議席を得ており、参院選で敗北しても(その後、敗北したが)『憲法改正国民投票法』は「三分の二」条項で成立させることができる状況にあった。

 つまり、野党に妥協しなくてもよいだけの状況があった。なのに、妥協した――安倍首相の「本気度」に疑問を持った瞬間だった。

 そして、参院選後の突然の辞任劇。安倍首相に期待していただけに、私にとってそれは、大きな衝撃であった。日本という国の希望が潰された、それぐらいの衝撃があった。

 事実、安倍首相辞任後に総理となった福田首相は「左翼」とも言うべき政治家であり、「憲法改正」など政治日程から”吹き飛んで”しまっていた。

ネトウヨたちは“権威に立ち向かう”ヒーローだった

 安倍首相辞任後、私は『日本国憲法』改正論者からさらに進んで『大日本帝国憲法』復原・改正論者となった。

 小学六年生の頃、民主党政権が誕生した。その頃の私はすっかり『大日本帝国憲法』復原・改正論者になっていたが、それほど民主党政権への拒否感はなかった。それどころか、環境問題等の政策では積極的に民主党へ期待していた。

 民主党にあまり批判的でなかったのは、自民党に期待できなくなっていたことへの、裏返しだった。

 民主党は当初、社民党と連立を組んでいたが「左翼の強い日本では仕方ない」ぐらいにしか、思えなかった。それどころか、鳩山首相が福島瑞穂社民党党首を事実上、内閣から「追放」した時は「快挙」とすら思った。

 同じく民主党と連立を組んでいた、国民新党は当時「自民党よりも右」のスタンスであった。それどころか、この時の私は自民党自体が「右」には見えなかった。

 第一次安倍内閣は『村山談話』も『河野談話』も踏襲していたし、安倍首相は一度も靖国神社には参拝しなかった。結局、彼は「左翼の圧力に屈した」のだ、とその時の私は考えていた。ならば、民主党でも自民党でも、大して変わらない、と。

 しかし、鳩山首相が辞任し菅政権が樹立されると、話は変わってくる。

 国策捜査、尖閣諸島、東日本大震災・・・菅政権はまさに「史上最悪の政権」であった。日本は、本当に亡びようとしていた。

 マスコミを見ると、菅政権への内閣不信任案提出の際にも『朝日新聞』から『産経新聞』までもが否定的な見解を載せていた。それまで『産経新聞』を愛国の新聞と信じていた私にとって、『産経新聞』が菅政権に助け船を出していることは、大きな衝撃であった。

 そんな私に「希望」を与えたのが、ネット上での「菅政権反対」の大合唱であった。

 彼らは日本の「支配勢力」である左翼に立ち向かう、英雄であった。南京大虐殺や従軍慰安婦と言った歴史改竄も排除しており、歴史改竄を排して真実を伝える彼らは、正義の味方であった。

 その頃は、言論弾圧をする側が左翼、権力側が左翼、歴史改竄をする側が左翼、であった。そして、その状態は実は今も本質的には変わっていない。

“大衆と真逆がカッコイイ”というネトウヨのメンタリティー

 少し「オカシイ」と思いだしたのが、原発を巡る議論である。その頃から、「菅政権反対」の勢力も分裂しだした。

 具体的には、自民党を支持する勢力と、後に日本未来の党を支持するようになる勢力と、である。前者が「ネトウヨ」と呼ばれるようになる。

 これまでネトウヨと言うのは、いわば「左翼に騙されている大衆」と「真逆」のことを言っている勢力であった。通常、そういう勢力は「右翼」や「保守」と言われる。

 だが、ネトウヨというのはその頃には「大衆の真逆」がもはや“目的化”してしまっていた。

 彼らの言う「原発反対」は、私は当初「反左翼」の文脈だと捉えていた。「再軍備」や「核武装」と言った主張も、ネット上ではどちらかというと本当に核兵器が欲しいというよりも「反左翼パフォーマンス」な主張の面があった。

 しかし、その頃のネトウヨたちの主張はもはや「反左翼パフォーマンス」ですら、なかった。ただ単に「感情的に反原発を言っている大衆とは違い、冷静に原発に賛成している自分、かっこいい」という程度の者であった。

 皮肉にも、それは「旧態依然とした天皇大好きの大衆とは違い、科学的・唯物論的に革命運動をしている自分、かっこいい」という、かつての新左翼の学生運動家と同じメンタリティーであった。事実、まさに「学生運動家出身」の極左政治家である仙谷由人議員は「全原発停止は集団自殺だ」と、発言していた。

 菅内閣の「裏の総理」と言われた仙谷由人も、ネトウヨたちも、「大衆とは真逆」の「原発賛成」の論陣を張り、そして、自分たちに酔っていたにすぎない。

 そのことは第二次安倍内閣樹立後に愈々明らかとなる。

「民主主義」に染まってしまった人々

 第二次安倍内閣が出来た後、「日本の右傾化」を騒ぐ人々が続出した。だが、当時中学3年生だった私は、もはや自民党には期待していなかった。

 安倍政権が愛国的な公約を守るわけがない、と判っていた。事実、私の予感は見事に的中した。

 総選挙の五日後には「政府主催の竹島の日記念式典」の公約を破棄。鳩山内閣以上に速いスピードでの「公約破り」であった。

 その後、「原発に依存しない社会を作る」「尖閣諸島に公務員駐留」「配偶者控除の維持」等々、多くの公約が破棄された。それどころか、「左翼政策」も推進された。

 例えば、子宮頸がんワクチンの定期接種化。これは元々、共産党の政策だ。「配偶者控除の廃止」も元はと言えば“主婦層増税”+“女性の社会進出”の組み合わせで「家庭解体」を目論む左翼、フェミニストの政策である。

 そんな中、安倍政権不支持を表明したある宗教団体に対して、次のようにコメントするネトウヨがいて私は仰天した。

「民主的に選ばれた政府への不支持を表明することは、民主主義の否定である。」

 そもそも、右翼とは民主主義自体に否定的な思想である。だが、よくよく考えたらネトウヨが「民主主義そのもの」を否定する場面を、私は見たことがなかった。

 ネトウヨには「右翼」どころか「保守」の思想もないように思われた。また「反左翼」ですら、ない。それどころか、「もしも60年代に大学生だったら、新左翼になってたんじゃないか?」というようなメンタリティーの集団であった。

 「右翼」「左翼」の適宜には色々あるが、歴史的にヨーロッパにおいては「王党派」が右翼とされ、その反対、極端な平等主義を訴えるのが「左翼」とされた。今の日本において「王党派」と言えるのは『大日本帝国憲法』の復原・改正論者であろうが、その勢力の多くは「反安倍政権」であって「ネトウヨ」とは一線を画していた。

 また、アメリカにおいては右派とは「プロライフ」(生命尊重、堕胎反対)の立場であり、左派とは「プロチョイス」(生命軽視、堕胎推奨)の立場である。しかし、ネトウヨの中には堕胎にむしろ肯定的な発言をするものさえ、いた。

 そもそも、本当に「反左翼」であるならば「子宮頸がんワクチン反対」「堕胎反対」を声高に言うはずだ。しかし、そう叫ぶネトウヨは、圧倒的に少ない。

 それどころか、「子宮頸がんワクチン賛成」をいうネトウヨすら、いる。これは単に「安倍信者だから」というよりも「感情的に子宮頸がんワクチン反対を言っている大衆とは違い、冷静に子宮頸がん予防接種に賛成している自分、かっこいい」という程度のものではないのか。というのも、安倍政権云々関係なく、そもそも医療問題自体に無関心なネトウヨが「子宮頸がんワクチン賛成」の論陣を張っているケースも多いからだ。

 マスコミはネトウヨを指して「日本は右傾化した」という。しかし、その論調自体が「日本の左傾化」を示していた。

 右翼や保守の思想を一切持っていない、ただの中二病的な、一世代前だと新左翼になっていたような集団が「なんとなく右」に思われるぐらい、世間の「左右の基準軸」が大きく“左”に寄っていたのだ。

 戦後は、長すぎた。日本の“左傾化”は「何が右か」も理解できないほど、病膏肓に入っていたのである。

ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。 拙い記事ではありますが、宜しければサポートをよろしくお願いします。 いただいたサポートは「日本SRGM連盟」「日本アニマルライツ連盟」の運営や「生命尊重の社会実現」のための活動費とさせていただきます。