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私が「太平洋戦争」と呼ばない理由

 先の大戦を右派は「大東亜戦争」と呼び、左派は「アジア太平洋戦争」と呼ぶ――これならば、私も理解できます。
 「大東亜」も「アジア太平洋」も、思想的にはともかく、地理的には同じ範囲を指しています。
 が、今学校教育では何故か「太平洋戦争」と呼ばれています。コトバンクで確認する限り、辞書類でも「太平洋戦争」と記されていることが多いようです。
 正直、私はこの「太平洋戦争」という言葉を聞くと気持ち悪くなります。
 私は保守派なので基本は「大東亜戦争」と呼んでいますが、リベラル派に配慮すべき場面では「アジア太平洋戦争」と呼びます。言い方に拘って敵を作りたくはありませんから。
 しかしながら、決して「アジア太平洋戦争」から「アジア」の三文字を抜いた「太平洋戦争」という言葉は、用いません。これだと「言い方」ではなく「実態」が変わってしまいます。
 「太平洋戦争」と言う五文字には、次の二つの歴史観が込められています。
 第一に、主戦場が太平洋とその周辺地域である、ということ。
 第二に、この戦争は「1941年12月8日」に始まった、ということ。
 この二つは、必然的に「太平洋戦争は日本とアメリカの戦争である」といったイメージを与えます。
 しかし、右派も左派も関係なく、この二つの歴史観は二つとも間違いである、ということに異論は無いはずです。
 この戦争を日本側は「大東亜戦争」と呼びましたが、これについては「支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」と明記されている通り、支那事変、つまり、中国での戦争も含めての呼称です。
 同じ戦争を中国は「抗日戦争」と呼んでいます。まぁ、中国からしたらそうなるでしょう。近衛文麿とか言う人が「今後一切交渉しない!」と言いながら攻めてきた戦争です。
 私が「大東亜戦争」と呼んでいると一部左派の方から「大東亜戦争肯定論」のレッテルを貼られます。バイネームで言うと大阪国際大学講師の能川元一氏とか。大学講師ともあろうものが平気でデマを流すとは、人格を疑われますが、それは置いておきます。
 大東亜戦争を肯定できるはずが無いでしょう。なんで他国で戦争しながら「交渉しない!」と和平の道を一切閉ざすような、「戦争自体が目的」としか思えない愚行を肯定していると思うのか。
 だから別に中国人が「抗日戦争」というのは止めません。抗日戦争中に毛沢東という人が日本の諜報機関とコンタクトを取っていたことを彼らが知っているかは気になりますが。
 いずれにせよ、主な戦場の一つである中国は「太平洋」ではありません。それなのにどうして「太平洋戦争」と言う事が出来るのでしょうか?
 また、主戦場の一つは中国ですからこの戦争が始まったのは「1937年7月7日」です。真珠湾攻撃ではなく、盧溝橋事件からこの戦争は始まっています。
 このことは私たち保守派よりも、むしろ左派の方が強調していたはずです。だから最近は少しでも歴史に詳しい左派の方は「アジア太平洋戦争」と呼んでいるはずです。件の能川元一氏すら「アジア太平洋戦争」と呼んでいるほどです。
 それならばどうして学校教科書では「太平洋戦争」と書いてあるのでしょうか?
 理由は簡単です。アメリカに忖度しているからです。
 アメリカから見たら日本とは「太平洋」で戦った、だから戦後になってGHQが「太平洋戦争」という用語を押し付けたのです。
 しかし、先の戦争はどう考えてもアジアが主戦場なのですから「大東亜戦争」です。どうして「大東亜戦争」という言葉を使いたくない左派の方は「アジア太平洋戦争」と言えばいいし、実際にそうしている人も多くいます。
 そういう状況でも「太平洋戦争」という言葉を使い続けるのは、右派でも左派でもありません。唾棄すべき「名誉白人」です。


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