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偉大な故人を偲びます

 一昨日、光明思想家の多湖周子先生の告別式に参列させていただきました。
 多湖先生は私が神様のように崇敬していた光明思想家でした。多くの青年に光明思想を伝えられました。
 令和の御代の始まりに、本当に多くの方が亡くなられています。
 私がインドに行っている間に、母方の曾祖母が亡くなられました。ちょうど49日に私はインドを立ちました。
 また、その暫く後には政治活動家の荒巻丈先生が亡くなりました。私が代表を務める政治団体の顧問をされていました。
 奇しくも、多湖先生の告別式のあった11月29日には、中曽根康弘元総理大臣が逝去されました。
 人の死を記事にするのは簡単なことではありません。しかし、多湖先生と中曽根元総理については、拙い文章ながら故人の顕彰をさせていただきたいと存じます。

(写真:昨年、飛田給道場での私と多湖周子先生)

「生き神様」光明思想を貫かれた多湖周子先生

 多湖周子先生は本当に「生き神様」と言わざるを得ない方です。日本における光明思想普及の第一人者でした。
 中学生の頃から(聞くところによると、小学生の頃から)光明思想に身を捧げられていました。
 特に青少年に光明思想を伝道することを第一にされていました。私の母が人生の手本とされている方でもあります。
 「生命の教育」の提唱者である谷口雅春先生の「天皇国・日本」の信仰を貫かれ、その孫で「国際平和信仰運動」の指導者である谷口雅宣先生の信頼も篤く、一部の光明思想家の間で見られた谷口家の人たちを(谷口雅春先生に救われた恩を忘れたかのように)軽視する動きを激しく諫めておられました。
「信仰は0か100しかないんです!」」
というのが、多湖周子先生の名言です。
 その言葉通り「100%の光明思想」を最後まで貫かれ、体調不良で透析を受けながらも、精力的に全国で活動されていました。
 体調がすぐれないことは知っておりましたが、まさか、本当に亡くなられるとは・・・青天の霹靂です。
 多湖先生が東京におられる頃、何度かお会いさせていただきました。その後、和歌山に来られたので以前よりも会いやすくなった、と思っていたのですが、結局、最後の告別式までお会いできなかったのが、本当に心残りであります。
 今の日本においては、光明思想家も分裂し、空前の朝敵政権も誕生してしまい、「天皇国・日本」の実相顕現から我が国は愈々遠ざかってしまっています。
 多湖先生を失ったことは、多くの青年の光明思想を学ぶものにとって、大きな哀しみでした。告別式に参列する際、私は「さぞかし多湖先生も無念であっただろう」等と言う不遜な想像をしていました。
 ところが、告別式の会場に着くと、本当に泣きたくなるぐらいの哀しさではありますが、一方では多湖先生の愛情を感じることができたのです。
 多湖先生は死して無念を一切残すことなく、ただ愛情だけを残されたのです。ここまで浄まったお葬式は、始めてでした。
 多湖先生、本当にありがとうございました。

忠臣・中曽根康弘元首相に感謝

 中曽根元首相のことを肯定派も否定派も安倍首相と比べたがっています。しかし、それはあまりにも失礼なことです。
 中曽根元首相と安倍首相とでは、目指す国家が根本的に違いました。
 中曽根元首相は天皇陛下に対して篤い忠誠心を持たれていました。
 明治維新記念式典に陛下を招聘せず、美智子皇后陛下(当時)が「痛みを覚えた」と公言された「退位」の言葉を法律に用いて、挙句の果てには天皇陛下の譲位の際に「譲国の儀」を行わせなかった上に、美智子皇后陛下の譲位後の称号を歴史上正統な称号である「皇太后」ではなく「上皇后」にした、安倍首相。
 そんな朝敵と中曽根元首相とを同列に論じることは、甚だ失礼なことです。
 何と言っても、中曽根元首相の最大の功績は国鉄民営化です。左翼労組の力を弱め、毎年のように続いていたという電車料金の値上げを阻止したことは、どれほど国家と国民のためになったか、計り知れません。
 故人のご冥福を心よりお祈りします。

ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。 拙い記事ではありますが、宜しければサポートをよろしくお願いします。 いただいたサポートは「日本SRGM連盟」「日本アニマルライツ連盟」の運営や「生命尊重の社会実現」のための活動費とさせていただきます。