ローマ教皇猊下の思いは日本人に果たして伝わるのか

 今月23日からローマ教皇猊下が訪日され、24日には広島と長崎を訪問されて比較のメッセージを出されました。
 そして、今日は天皇陛下と会談されるそうです。有難いことであります。
 一方、日本政府とマスコミの対応は醜態を極めています。そして、それは日本人自身の宗教への無関心を暗示するものでしょう。

「法王」か「教皇」か

 「名は体を表す」と言いますが、畏れ多くも一国の元首への呼称が「朝令暮改」する、と言った非礼はあり得ません。
 当初、マスコミはローマ教皇猊下をなんと「ローマ法王」と報じていました。そして、日本政府が呼称を「教皇」に改めると右に倣えで「法王」に変えたのです。
 そもそも、日本のマスコミはいつの間に政府の御用機関になったのか。ローマ「教皇」という名称は既に宗教界でも学界でも当たり前に使われていた言葉であり、それをあえて「政府が言っているから」という理由で「法王」と表記していたマスコミは「政府の狗」と言われても仕方ないでしょう。
 ここで「法王と教皇、この呼び方の違いがそんなに大事なの?一体、何が違うの?」という方も出てくるかも、知れません。
 しかし、「法王」と「教皇」と言うのは、大いに違いがあります。
 まず「法王」だと要するに「王様」の同類です。イギリス国王やブータン国王、場合によっては日本の皇族の「王」と同じカテゴリーになってしまうのです。
 そもそも、我が国において「法王」というのは道鏡や聖徳太子といった、「皇族」「皇族待遇の臣下」に与えられる称号でした。今でもチベット仏教のダライ・ラマ14世猊下の称号は「法王」です。
 「宗教界の王だと、良い意味なんじゃ」と思っては、なりません。この「法王」という呼称を持った人間は、しばしば世俗の君主(皇帝 emperor)よりも「下位」に位置付けられます。
 例えば、大元帝國や大清帝国におけるダライ・ラマ法王は「皇帝」の「下位」に位置付けられていました。漢字圏においては「皇」と「王」の間には明確な上下関係があるのです。
 だからこそ、韓国の反日勢力は「天皇」を「日王」と表記するのです。言うまでもなく、それは天皇陛下を「皇 emperor」として認めたくないからです。
 世界的にも「皇 emperor」と「王 king」とは明確に上下関係があります。ヨーロッパで「emperor」というと、それは「ローマ皇帝の後継者」ということになります。そして、「king」は「ローマ皇帝の臣下」扱いをされます。
 従って、歴史的にも「ローマ皇帝と対等」な地位を築いてきたローマ教皇に、あえて「皇 emperor」ではなく「王 king」を連想させる呼称を用いることは、不敬極まりない行為なのです。いわば、韓国の反日派が「天皇」を「日王」と呼んで貶めるのと同様の行為をしているのです。
 我が国のカトリック教会は一貫して「教皇」と表記していましたから、日本のマスコミは当事者の意向を完全に無視して、日本政府の呼称を無批判に使ったことになります。このことは我が国の報道史上の汚点とすべきことです。

「核の傘」から日本は離脱できるのか

 ローマ教皇訪日を要請したのは安倍首相だそうですが、そうだとすると彼はまさに墓穴を掘った、ということになるでしょう。今回のローマ教皇のメッセージには、明らかに安倍政権への批判も含まれています。

カトリック教会としては、人々と国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対し、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則り、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていくことでしょう。昨年の7月、日本司教協議会は、核兵器廃絶の呼びかけを行いました。また、日本の教会では毎年8月に、平和に向けた10日間の平和旬間を行っています。どうか、祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招きが、わたしたちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。

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