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ネクタイという「セルフ絞首刑」文化を廃止するためにも「朝服復古の大号令」を実現させよう!

 どうして日常生活を送るためだけに、自分で自分の首を絞めないといけないのでしょうか?
 言うまでも無く、ネクタイのことです。
 首を絞められることなく、日常生活を送るのは人間として当然の権利では無いでしょうか?
 そういう私も、普段からネクタイをつけています。
 が、それは『道路交通法』を守るのと一緒です。『道路交通法』が正しい法律であるとは一ミリも思っていませんが、そういう法律は守らないといけません。
 同様に、ネクタイもルールだから着用していますが、それが正しいルールかと云うと、それは別問題です。
 私はいつも疑問に思います。
 どうして西洋人はセルフ絞首刑であるネクタイを正装に採用したのか?と。もしかして西洋人はドМなのでしょうか?
 今の形のネクタイがいつからできたのか、私がちょっと検索してもよく判りませんが、どうもネクタイというセルフ絞首刑を強要するようになったのはそんなに古い歴史では無さそうです。
 また、ネクタイはやはり西洋人の価値観ですから、例えばニュージーランドではマオリ族の国会議員がネクタイ強要に反対する運動も起こしています。

 もっとも、ネクタイが正装である最大の原因は洋服にあると言えるでしょう。
 そもそもなんでここは日本なのに洋服が正装なのか。そのことこそ、最大の問題です。
 しかも、日本の洋服受容はどこかチグハグです。
 何故か女の子の制服は海軍の軍服をモデルにした服です。無論、男子の学ランが陸軍の軍服をモデルにしていることは、言うまでも無し。
 そう、洋服が正装であるのは軍国主義の残滓であるとさえ、言えるのです。
 こういうと「軍国主義という用語を使うとは、お前は左翼か!」とか言うネトウヨが湧いてくるので、熨斗をつけてこう返してやりましょう。

「切腹の代わりにセルフ絞首刑をするとは、お前はそれでも武士か!」

 そもそも武士は日本の素晴らしい伝統でも何でもないのですけどね。
 私は日光東照宮には絶対に参拝しません。理由は簡単です。
 どうして『禁中並びに公家諸法度』を制定した朝敵を参拝しないといけないのですか?
 よく「靖国神社は軍国主義の象徴だ!」という人がいますが、それを言うならば日光東照宮は封建支配の象徴です。
 そういやかつてとある左翼が徳川公爵家の次期当主を参院選に擁立しましたね。彼は野党結集に反対して離党したので、私と同じ政党であったことは一度もありませんが、彼を擁立した人は野党分断に貢献したことを反省してほしいものです。
 というか、封建時代の支配者を擁立しておいて「リベラル」って、アホか、って話なんですけどね。
 話を戻すと、真面目な話、洋服が正装になったのは軍国主義とかもあまり関係なく、単に西洋風のものがカッコいいという何の主義思想も無い思い込みとブームから始まったものである気がします。
 しかし、ここは日本です。
 個人の複数は好きな服にすればいいし、別に洋服でも何でもいいのですが、正装となるとやはり日本の伝統に従ったものにする必要があるでしょう。
 こういうと、馬鹿の一つ覚えみたいに「紋付き袴が正装だ!」と言う方が出てきます。
 いえ、紋付き袴は武士やヤクザの正装であって、本来の日本人の正装ではありません

 いや、ヤクザが好きな服を着るのは別に良いんですよ?
 しかし、私はヤクザではありませんし、武士でもありません。
 しかも紋付き袴が正装になったのは朝敵徳川幕府の支配下ですから、宜しくありません。
 こういうと「では、公家の服装である衣冠束帯はどうか?」という方が出てきます。
 しかしながら、衣冠束帯は天皇陛下を蔑ろにした王朝国家の摂関政治における国風文化が起源ですから、これも宜しくありません。
 そもそも王朝国家も封建国家も日本とは言えません
 日本が本当に本であったのはいつか。
 それは言うまでもありません。「万葉の時代」律令国家です。
 そして、律令国家の正装を「朝服」と言います。

 この朝服、素晴らしいですねぇ。
 まさに「日本人!」と言う感じがする服装です。
 無論、現代風にアレンジするのは構いませんが、やはり正装は重複を基準に定めるのが妥当でありましょう。

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