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チベットとインド仏教復興運動

 今日はチベット蜂起記念日となっています。立憲民主党は渡辺周先生が旧国民民主党時代から日本チベット国会議員連盟の会長代行を務めるなど、チベット問題に積極的に取り組んで来ました。
 国会でも立憲民主党の松原仁先生がチベットの人権問題に関する質問主意書を出しています。
 しかしながら、チベット問題を単なる人権問題として矮小化する訳にはいきません。チベット問題は独立国であるチベット法王国を中華人民共和国が不法に占拠しているという事にその根本的な問題があるからです。
 これはウイグル問題もそうで、独立国である東トルキスタン共和国が中国に侵略されている、という観点で考えなければなりません。
 侵略と人権侵害に関係はありますが、別種の問題です。満洲国も中国に不法占拠されていますが、満洲民族に対する抑圧はチベットや東トルキスタンと比べると軽度です。もっとも満洲民族にはチベット仏教の信者も少なくないため、中国政府による「宗教の中国化」は深刻な人権侵害であると言えますが(これは中国内のモンゴル民族もその多くがチベット仏教の信者ですから同様です)。
 私は別に中国が憎くてこう言うことを言っているのではなく、アメリカに対しても「ハワイ王国への侵略は違法であるから、ハワイ王国の独立回復を認めるべき」と主張しています。
 また、ソマリアにおいてもソマリランドの独立を認めるべきであるし、キプロスにおいても北キプロス・トルコ共和国の独立を認めるべきである、というのが私の主張です。
 私はインドに住んでいたこともある親インド派ですが、かつてガンディーが夢見て未だに日本人でも支持する人がいる「インドとパキスタンの統合」にも賛成はしません。
 日本では(世界でも)「ガンディー神話」が存在しますが、ガンディーの主張は「ヒンドゥー教の教えは普遍的なものであるから、イスラム教徒とも仲良く出来るはず!」という程度のものに過ぎません。ガンディーは自分がヒンドゥー教徒として断食をすれば、イスラム教徒もダリット(旧不可触民)も感動して、それぞれ分離独立や分離選挙を求め無くなると思い込んでいましたが、それが彼の妄想に過ぎなかったことは歴史が証明しています。
 日本で言うと「禊や潔斎を一生懸命すればキリスト教徒も靖国神社相手に裁判を起こさなくなる!」というようなものです。そんなことを言っている人がいれば正気が疑われます。
 宗教対立等は粘り強い対話と妥協により解決されるものです。ガンディーはヒンドゥー教至上主義者でしたので、「機械を使わずにヒンドゥー教の教義通り手作業で綿織物を作ろう!」等と呼び掛けていました。その写真に感動している日本人もいますが、ガンディーの言うことを真に受けていたらインドがIT大国になることは無かったでしょう。
 話をチベットに戻すと、実はチベット問題を解決困難にしている理由の一つが、ガンディーやネルーと言った日本人が英雄している人たちにあります。
 そもそもネルーは隣国チベットが侵略されている時に中国と「平和五原則」を発表していたような男です。
 ダリット出身の法務大臣であったアンベードカル菩薩は、ネルーの過剰な親中姿勢を理由の一つとして下野しました。その後、アンベードカル菩薩はインド仏教復興運動を始めます。
 そして実は、インド仏教復興運動の妨害をしているのも、ガンディーとネルーの負の遺産です。
 ガンディーはヒンドゥー教こそが最高の教えと言うスタンスを生涯持ち続けていましたので、ヒンドゥー教において差別されていたダリットの人たちが改宗することに反対していました。カースト制度にもガンディーは好意的で「ヴァルナ(四階級制度)はヒンドゥーと一体である」とまで言っていました。
 それを継承したのがネルーです。彼はお釈迦様が悟りを啓いた大菩提寺(ブッダガヤ)の管理委員会について、委員長を地元の行政長官としそれ外の委員8人をヒンドゥー教徒と仏教徒の4人ずつとして、合計9人の委員に管理させることにしました。
 一見平等に見える制度ですが、実はこれには重大な但し書きがあり、もしも地元の行政長官がヒンドゥー教徒ではない場合は別のヒンドゥー教徒を州政府が委員長に任命する、という規定があるのです。その規定は今でも有効で、つまり仏教の聖地である大菩提寺が何故かヒンドゥー教徒が常に多数となる委員会に管理されることになっているのです。
 またインドでは少なくない州に「改宗禁止法」があります。そのため多数派であるヒンドゥー教徒が圧倒的力を持っています。もっとも実際には法律で人の信心を縛ることはできませんから、統計よりもヒンドゥー教徒は少ないはずです。
 そのためインドでは仏教徒を含む非ヒンドゥー教徒が抑圧されています。私の友達のインド仏教徒は私に対してハッキリと「I don’t like Gandhi!」と言いました。
 が、インドに亡命したチベット政府はインド政府に“忖度”せざるを得ません。そのため、チベット政府とインド仏教復興運動の連携は殆どできていないのが現状です。
 私がインドのある公立小学校を訪れると、そこでは教室前方の真ん中にガンディーの肖像画が飾られており、その両隣に弁天様とネルーの肖像画が飾られていました。
 その意味するところは明白です。ネルーは弁天様と同格の神様扱いで、ガンディーはそれよりも上位の神様である、と崇拝の対象になっているのです。なお、ヒンドゥー教には日本みたいに祖先を神として祀る教義は無いため、太宰府天満宮や豊国神社、日光東照宮の例と同様には扱えません。というか、もし日本の公立学校で徳川家康を崇めていたら問題になるでしょう。
 そのような国においてガンディー批判はタブーであり、ヒンドゥー教と真正面から対立することなど出来ません。チベット政府がインド仏教復興運動と連携出来ないのは仕方のない面もありますが、インドのヒンドゥー教勢力の中にはチベット仏教とインド仏教とを積極的に分断しようとしている人がいるのも事実です。
 このようにチベット問題にも色々な側面があります。ただ、原則としてはまずチベットが独立回復してもらわないといけません。
 日本に出来ることは、チベットを国家承認することです。
 なお、インド仏教復興運動にも日本人が携われる点は多いです。現にインド政府少数者委員会仏教徒代表(副大臣相当)になったこともある佐々井秀嶺上人は、元々日本人僧侶でインドに帰化された人です。
 インド仏教復興運動は佐々井秀嶺上人によって発展した側面は確実にありますし、日本山妙法寺や霊友会と言った日本の宗教団体がインドに進出したことも良い影響を与えています。
 私個人としては、仮にチベット仏教とインド仏教の橋渡し役になれる人がいるとすれば、それは日本人の仏教徒しかいないと考えます。

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