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ノンセクシャルという生き方――世間から疎外される『見えない性的指向アセクシャルのすべて』

 人間と言うのは、あまり自分をマイノリティだと思いたくないものです。(そうではない人も多いでしょうが。)

 私はノンセクシャルというセクシャル・マイノリティの人間ですが、自分がそれだと自覚するのには時間がかかりました。ノンセクシャルは正確には「ロマンティック・アセクシャル」と言います。

 アセクシャルは「他人に性的欲求を抱かない人」のこと。とはいえ、恋愛感情がある人も、性欲がある人も、存在します。

 恋愛感情があるアセクシャルのことは、日本では和製英語で「ノンセクシャル」と言います。ノンセクシャルを含む広義のアセクシャルのことを「Ace(エース)」と言います。

『見えない性的指向アセクシャルのすべて』

 先日、Aceのオフ会に生まれて初めて参加すると『見えない性的指向アセクシャルのすべて』という本を紹介されました。

見えない性的指向

 この本は明石書店からの出版です。

 因みに、本題とは無関係なのですが、ちょっと宣伝させてください。(笑)私の論文が載った本である『『古事記』『日本書紀』千三百年の孤独』が同じく明石書店から出版されます!

古田史学

 明石書店は良い本を出版してくれますね。(笑)

 宣伝はともかく、この『見えない性的指向アセクシャルのすべて』はノンセクシャル当事者の私からすると、本当に有難い本です。私自身、この本を読むことで自分のことをいろいろと整理することができました。

Aceにも色々なタイプがいる

 『見えない性的指向アセクシャルのすべて』に記されていることの多くは、アセクシャルやノンセクシャルの当事者にとっては感覚的に知っていることです。

 ただ、この本はそれを上手に、簡潔にまとめてくれています。もしもこの本を最初に読んでいたら、私のノンセクシャルの自認が送れることもなかったでしょう。

 アセクシャルと言うと、よくある誤解が「恋愛感情がない」とか「性欲が無い」とか言うものです。私自身、そのように思っていました。しかし、この本では恋愛感情があるアセクシャルも、性欲があるアセクシャルもいることが記されています。

 この本には「行為と性的指向は関係ない」という言葉が記されています。この言葉がすべてを現しています。

 私はあるとき、LGBT当事者の友達から「日野君にはアセクシャルの傾向がある」と言われて怒ったことがありました。恋愛感情も性欲もあるのに、アセクシャルの訳がない、とその時は思ったものです。

 このことがアセクシャルの自認を遅らせる大きな要因にもなっています。特に恋愛感情のあるノンセクシャルだと、自認は困難です。

 女性の場合は男性から身体を求められることで気付くかもしれませんが、男性に身体を求める女性はあまりいません。もしいたとしても「あの女はビッチだから」ということで片付けて、自分の性的指向まで考えないこともあるのです。

性的に機能するシスジェンダーの男性であれば、勃起したり刺激に反応したりすることで、自分はアセクシャルではないと思うこともあるでしょう。(略)
 また、ヘテロノーマティブな男性は、積極的に女性を追いかけない男性にホモセクシュアルというラベルを貼ったり、「セックス相手を見つけられない」落伍者だとか「あきらめの早い」やつだとかと見下す人が〔いる〕ことがあり、こうした仲間からのプレッシャーや、ホモセクシュアリティを恥だとする一部の考えのせいで、アセクシャルの男性は(女性よりも)カミングアウトすることが困難なのです。(『見えない性的指向アセクシャルのすべて』114~115頁)

 ネット上では女性のAceの方が男性よりも圧倒的に多いですが、これは男性のAceが単に自認していないだけで、絶対数が少ない訳ではないでしょう。

性と恋愛の不一致は果たして“特殊”なのか

 そもそも、性欲と恋愛が一致しないことは、果たして特殊なことなのでしょうか?

 世間では性犯罪の報道がよくあります。性犯罪者は被害者に恋愛感情を抱いているのでしょうか?もしも本当に相手を愛していれば、性暴力などするとは思えません。

 周囲を見ると「付き合っていなくとも体の関係を持つ」という人もいれば「結婚するまで体は許さない」という人もいます。皆様の周囲にもそういう人はいるはずです。

 そうした例を見て「恋愛=性欲」という等式は、果たして成り立つのでしょうか?

 しかし、どうも世間の人達は「恋愛=性欲」と捉えているようです。

 私にはどうにも理解できないのは、恋愛と言う精神的、スピリチュアル的な感情と、性欲と言う肉体的な(不随意の)欲求とに、どうして相関性があるのか、ということです。

 このことを種族保存本能との関係で説明する人がいます。

 確かに、好きな人と家庭を築く、その好きな人と一緒に子供を産む、その子供が生まれるための行為をする、これは「自然」なことでしょう。それは否定しません。

 ですが、だからと言ってノンセクシャルが特殊であるかのように言われる風潮には疑問があります。『見えない性的指向アセクシャルのすべて』ではこのことを的確にツッコんでいます。

ヘテロセクシャルのシスジェンダーの人たちが、生殖目的ではないセックスをしたり、避妊具を使ったり、すでに妊娠能力のなくなった更年期を過ぎた人や、ほかの理由で生殖力のない相手と性行為をするのは、生殖活動にならなくても、それを「不自然だ!」と呼ぶことはありません。そのことからも、アセクシャルの人は生殖活動をしないから不自然だというラベルを貼ることは、根拠がないと言えます。これは、アセクシャルの人は親密な人間関係――セックスなしで必要な人間関係を作ることができないという誤解に基づいています。性的魅力やセックスを好まない人は、健全で健康な人間ではないと思われてしまうのです。(『見えない性的指向アセクシャルのすべて』27頁)

 恋愛と性欲は必ずしも結び付くわけではないのに、しばしばAceの人達が「変わった存在」場合によっては「異常な存在」と認識されるのは、不思議なことであり、しばしば不快に感じることすらあります。

私の場合はどうなのか――「AceFile」の内容

 さて、Aceと言っても様々な人がいることは触れましたが、では私はどうなのか。

 ネット上で著作権フリーの「AceFile」というものがあるので、私もそれを作ってみました。

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 これを見ても判る通り、私は恋愛感情については多くの皆さんと同じです。(笑)

 スキンシップは好きな人であると却って無理になるのですが、それは性的なものを連想するとかが理由ではなく、好きな人に「肉体がある」という現実をどこかで受け入れたくないからです。

 こういうと「危ない人」と思われるでしょうが、私は「人間」には惚れないんですよ。(笑)既に述べたように私の恋愛はスピリチュアルなものなんですが、ここまでスピ色全開な人はノンセクでも珍しいかもしれません。

Aceの居場所づくりを行いたい

 男性のノンセクシャルだと自認の機会はあまりない、と述べましたが、それではどういう時に自認するかと言うと、それは世間の偏見に晒された時や疎外感を持った時です。

 自覚がないからこそ、Aceに対する違和感は本人よりも周囲が感じることもあるようです。この点、いわゆるLGBTとは困っている部分が根本的に異なります。

 LGBTはどちらかと言うと、周囲と同じように生きることが辛いのだと思います。だからこそ、同性婚容認等を要求しているのでしょう。

 一方、Aceは周囲と同じように生きたいのに、周囲が「変わった人」「オカシイ人」と見てくる、という問題の方がどちらかと言うと多いように感じます。

 私は高校時代、自分がノンセクである自覚など全くない頃には、男子同士で猥談をするようなこともありましたが、その頃から何故か「潔癖」なイメージを持たれていました。

 そして、大学生になるとどうか。

 女友達の家に泊まっただけで、肉体関係があるかどうかを周囲に疑われる、それが不快だと言うと「世間知らず」「まだまだ子供」だといわれたりする、挙句の果てには、友達の家に泊まるつもりで行くと、向こうはすっかり私が身体を求めてくるものだと思い込んでいたりする――まだ私が男性だからこれで済んでますが、女性だと大変でしょう。

 と言うか、女性ほどではありませんが、心ない言葉を言われることはあります。(被害者面はしたくないけれども。)

 少し想像すれば、Aceみたいな人がいることは判るはずです。どうして公然わいせつ罪があるかと言うと、それで不快になる人がいるからです。Aceは性嫌悪とは限らないのですが、性的な行為が嫌な人もいることは少し想像すれば判るはずのことなのです。

 個人的には、Aceのシェアハウスを作るといった居場所づくりが一番、Aceの人達にとって良いことだと考えます。偏見をなくしてもらうのが一番ですが、Aceのことを理解してもらうのは至難の業です。

 Aceの情報を発信することで、自認しやすい人も出てくるかもしれません。また、Aceのオフ会や交流会も開催していきたいと考えています。居場所さえあれば、大丈夫な人は多いでしょう。

 Aceの居場所づくりの活動をもしも支援して下さる方がいたら、メッセージを添えてサポートして下さると幸いです。

ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。 拙い記事ではありますが、宜しければサポートをよろしくお願いします。 いただいたサポートは「日本SRGM連盟」「日本アニマルライツ連盟」の運営や「生命尊重の社会実現」のための活動費とさせていただきます。