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本当の気持ちへの気づきが、ちょっとずつ(通年マイズナークラス④)

朝起きて2時間は経たないと電波はバリ3にならない

起きたら9時。目覚ましは8時。なんてこったい。というわけで、朝は全然頭が起きていなかったのでした。
手を重ねて動くリーダー・フォロワーのワーク。楽しんではいたんだけど、相手と繋がってる感覚が全然なくて。相手の人はじっとこっちを見ながらやってくれたのに、本当に申し訳ない。

ブラインドウォークのワークも、なんかただやっちゃってて。相手のことを想うとか相手と繋がるとかいう感覚もなく。これも相手に申し訳なかったな。
相手が優しかったのもあって全然怖いとかいう感情は起こらなかった。もともと安心して預けちゃうタイプではあるんだけど。ただ、振り返ってみると小さく自分の中で動いていた感情はあって。それを表に出せなかったのは反省。

というわけで、前半戦は頭がまだ動いてなくて、ただワークを「こなしている」みたいな感覚だった。ホントごめんなさい。

漸進的筋弛緩法はすぐに逆戻り

このWSでたびたびリラクゼーションとして行われる漸進的筋弛緩法。これが未だになかなかしっくりこない。
その瞬間それぞれのパーツがじわん、と温かくなる感覚は(部位差はあれ)あるんだけど、根本的に固まりすぎてるからなのか、終わったパーツはまたすぐに元通りで、終わった後に結局ゆるんだ感じがしない(状態が変わっている感じがしない)んだよな。すぐ伸ばしたりほぐしたりしたくなっちゃう。このワークの前か後にストレッチをするとよいのかな。

「この人を絶対的に手に入れたい」ってリアルに思ってみたい

愛する人。さすがに20年以上前の人を使ったからか、記憶がだいぶ薄くなっていた。リピテションしながら浮かぶ彼女のイメージはとても断片的で。でも、びっくりしたのは彼女の「声」だけは圧倒的に強く残っていて、脳裏に響いてそれに影響を受けたように思う。

悲しませる人と楽しませる人は、かつての教え子を浮かべることに。
「悲しませる」の時には、自分が悲しい思いをした(生徒もつらい思いをしていた)体験の場面を使っていた。
リピテションをしてみたら、「あの時にこんな風に生徒に声をかけたかったんだ」「こんな行動をしたかったんだ」ってものが溢れてきた。教師としての役割・社会性の裏に隠れていた自分の本当の思いはこれだったんだな。

怒らせる人。無理だった。教員時代パワハラされた人を思い出してみたけど、論理でしか怒りが出てこなくて、リピにならなかった。
一番欲しい(付き合いたい?)人。ふわふわ。リピテション自体は普通に楽しかったけど、なんか絶対的にその人を手に入れたいみたいな欲求は湧いてこなかったんだよなあ。

同じ相手と重ねるリピテション。一歩違うものが見えた気がする

最後のリピテション。何を手に入れたかったんだろう。
相手が楽しくないのに「楽しい」って言ってるのを感じて、無理に楽しもうとしているように感じて。それが嫌で。「嫌だ―っ」ってことばっかりずっと伝えてたけど。

じゃあ、どうしてほしかったんだろう。
無理しなくていいんだよ、なのか。そのまま居てくれればいいんだよ、なのか。そんな思いのような気はするんだけど、それは今振り返って書いているから言葉に出来ているだけで。その時は、言葉にこんな気持ちは乗せられていなかったような気がする。

…これでもまだ全然、何を手に入れたかったのか、ぼんやりしてる。
「楽しくない」ということを嫌だと思わないでほしい。楽しくない状態で一緒に居てみようよ。そんな感じなのかな。

そして書き進めながら気づく、もう一歩奥に多分ある、自分のエゴ。ちょっと見えてきたよ。

リピテションの振り返り、相手と時間かけて対話してみると、もっともっと気づきが深まりそうな気がするな。



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