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舞台『第七官界彷徨』七つの思い


 いつも何かが終わるたび、いろんなことが頭をぐるぐるめぐり、それは宝物となって自分の血液になっていくはずなのに、それを疎かにしている自分がいる。

 9/23に舞台『第七官界彷徨』の公演が無事に幕を閉じた。自分はこの座組に途中から加わったのだが、それでも実質半年くらいは仲間とともに時間を過ごしただろうか。経験の浅いメンバーが大半の中の、手作り感にあふれる舞台。

 毎日自分の中にいろんなことが起きていたのに、それを書き留めるということをしてこなかったことを悔いながら、七つの思い出を記録に残してみようと思う。

一.きっかけはただの羨望

 「ゆう、演出手伝ってくれない?」制作のふじからそう声をかけられたのは、去年の終わりころだっただろうか。

 「りりあん」で少しだけ話すようになったれなが、自主公演をするという話は聞いていた。春には演劇仲間の多くが「かもめ」の公演に参加することも聞いていた。
 そしてちょうどその頃、演じ手の自分としては過去一好きだった「**(これも蜜柑だ)」の演劇教室発表会がたしか間近で、これが終わったあとどうしようと思っていたところだった。(ちなみにこの発表会で心が折れて演劇やめようか悩んでたんだけど、続けててよかった)

 ずっと停滞している自分が疎ましくて、次々と挑戦をしていく仲間がとても羨ましく思えて。どんな作品をやるのか、自分にどんな役割が期待されているのか、そんなことも何も考えずに二つ返事で”OK”って言った記憶がある。

二.尾崎翠と『第七官界彷徨』

 引き受けたはいいものの、国語の教員をしていたにも関わらず「尾崎翠」なる名前は聞いたこともなかった。

 ほどなくして原作『第七官界彷徨』を読むのだが、左脳と論理で生きているような自分には、とにかく話が全くと言っていいほど理解ができなかった。何を伝えたい作品なのだろうと。
 それでも言葉は繊細でどことなく軽妙でおしゃれな感じがあって、ともすると二次元のような、少女漫画のような登場人物たちが脳裏に浮かんだことを覚えている。

 原作を読む前に制作過程の原稿をもらって読んでいたのだが、この時点では作品に散りばめられたピース、そこかられなが伝えたい思いが剥き出しでどんっと乗った状態で、さながら調理前食材が並べられて料理の完成図が見えないような、そんな状態だったように思う。
 
 それでもこの剥き出しの素材たちの意味が、原作を読んでみると朧気ながらに浮かび上がってきて、これを表現出来たら面白いだろうな、とわくわくしたことも確かだ。 

三.自分の役割の模索

 最初に自分で決めた役割は「れなの想いと観客をつなぐ」ことだった。

 『第七官界彷徨』という話を、ぱっと読んで理解することは難しい。
 そして、れなに渡された原稿にちりばめられた言葉の大半は、『第七官界彷徨』原作や尾崎翠の他作品で実際に小説で用いられている言葉から紡ぎだされていた。書き言葉であるうえに、昔の言葉なのだ。
   
 つまり、この台本の言葉を耳で聞いて理解することは、極めて難しい。そしてストーリーも決して分かりやすいものではないことも明らかだった。   
 一方で、この言葉自体が宝物であり、作品の妙であり、そこにれなの想いがあることもなんとなく感じていた。
 原作を読んでいる人ならまだしも、そうでない人に、どうやったられなが作品に込めたものが届けられるのか。演劇としてお客様に伝わる作品になるのだろうか。

 尾崎翠を読み込んでれなと同じ世界線まで辿り着くことは難しい。だからこそ、一人のお客様の目線で物語を見て、れなの想いがこれで届くと感じられるのか、そんなことをやりとりしながら作品を作って行こう、そう思っていた。

 ただ、そうやってスタートして、やがて一つの落とし穴に嵌まった。この「一般の人に伝わる作品にする」という過程は、ある意味では「れなが作品に盛り込みたいと思っていた素材の数々」を少しずつそぎ落としていく、そのことと同義だったのだ。

 物語を書いたことがない自分は、この過程でれなが感じる痛みに、あまりにも無頓着だった。身を削る思いで作品にこめたものを捨てたり、変えたりすることにはどれだけの痛みが伴うだろう。

 それに気づいてから、発想をやっと変えることができた。れなの思いをより丁寧に聞くこと。お客様が「わかる」ことは必ずしも正義じゃなくて、「わからない」こともありで、「なんとなく感じる」もありだということ。作品として成り立つギリギリのところを、対話を諦めないで粘り強く探っていこう。そんな風に考えた。 

四.無自覚に帯びた権威性

 自分には演出の専門性は何もないけど、「外から見られる人」が必要だということで声をかけられていた。
 だから、本番二か月前くらいまで、脚本の内容や演出、演技についても、自分が思うことは何でも率直に伝えるようにしていた。

 この時の自分の状態はいわゆる「仕事モード」で、普段社会人をしている時の自分の姿そのものだった。プライベートよりも仕事の方が遠慮せずに自分の意見を言えるので、そういう意味では自分にとって、ごく自然な状態でもあった。

 ただ、自分は、自分がもつ権威性というものに恐ろしく無自覚だった。自分が年長者であること。男性であること。論理が強くて、言語化が得意であること。「客観的に観る」という役割をもっていたこと。稽古場にある「演出卓」という権威性を帯びた空間に座っていたこと。

 演者が悩み傷ついていることが隠し切れなくなるようになって顕在化するまで、自分はそのことに気づくことができなかった。演出を降りようと思ったのもこの時だった。

 結局は仲間に助けてもらい、改めて『公演が終わったときにみんながどうありたいか』『どういう風にフィードバックを受けたいか』ということを改めて対話した。この対話を通して決めたことや、一人一人の思いの理解は、自分にとって、最後の最後まで、迷ったときの羅針盤になってくれた。

 仕事柄ハラスメントについては人並み以上に勉強しているし、映像業界などで導入されている「リスペクト・トレーニング」を提供する側でもあるのだけど、いざ自分が現場に入ってみると、自分に自覚的であること、自分をコントロールすることがいかに難しいのかを実感した。

五.れな=小野町子という存在

 本番約1週間前のX(Twitter)のスペースで作品の見どころを聞かれたとき、「プレッシャーになるといけないので一番の見どころは言いませんが…」と話をした。
 本番が終わったので言ってしまうと、『「れな=小野町子」の姿を見てください』というのが、自分の偽らざる本音だった。

 9月に入ったくらいのころの稽古の帰り道、「今日の稽古よかったね」という会話をれなとした記憶がある。その実感は自分の感覚とも合っていて、「ああ、このまま最後まで走り切れるかも」と初めて思えた。

 誰よりも尾崎翠を、『第七官界彷徨』を、小野町子を深く理解しているれなは、舞台上にいるとき、小野町子であり、そしてれなでもあった。
 生身の小野町子≒れなが剥き出しで舞台の上にいるだけで、その姿はとても興味深く、美しく、あやうさをはらんでいた。だから、れなが小野町子として純粋に舞台に立つことが出来れば、それだけで観客の心を動かす作品になるという確信が自分の中にあった。

 そして、町子と響きあって輝くに十分な、周りを固める役者と演出が出来上がっていることも。

六.境界の彷徨

 いよいよ本番が近づいてきて、ゲネの頃だったか、ふと同じような感覚をどこかで経験したな、と感じる瞬間があった。
 それは、中学校の担任として合唱コンクールの自分のクラスを見ているときの感覚だった。生徒のリーダーが迷いながら悩みながらクラスをまとめようと奮闘し、やがて生徒の中で化学反応が起き、歌が形になっていく。そのプロセス全てが歌声となって響き、客席に感動が届く。
 担任としての役割はそのリーダーを口出しをせず見守り、必要な時にはそっと前に進めるよう側面から支援することだった。

 ああ、自分は今回「小野一家」という座組の境界の外の人間になってしまっているな、と感じた瞬間でもあった。一人のメンバーとして、役者として、中で一緒にもがき苦しみ悩み成長したかった、という欲がなかったといえば嘘になる。
 でも、今回自分に求められていた役割はどこか客観的な役割で、それが最終的に作品を作るうえで必要なものであることも分かっていて。そこをしっかり割り切って動いていた隊長には、「見習わなきゃな」っていつも思わされてた。
 
 思えばずっと、この公演に加わってから、この境界の中と外を自分は彷徨していたなあ、と思うのだ。

七.誰一人欠けても成り立たない、という言葉

 いろんな劇団の公演後のツイートで、「この公演はこのメンバーじゃないと無理だった、誰か一人欠けても成り立たなかった」という言葉を見かけることがある。
 自分は「いや、そんなことどの公演でも言ってるんでしょ」ってどこか冷めた目でいつもそれを見ていた。

 だけど今回公演が終わった瞬間、気が付いたら「本当に奇跡みたいにピースがはまってて、誰か一人いなくても無理だったね」っていう言葉が、自然と自分の口をついて出てきた。

 役者陣だけじゃなくて、
 直前まで音響のドタバタトラブルに臨機応変に対応してくれて、制作目線でも助けてくれたひなさん。
 舞台が全く見えない難儀かつ限られた照明設備、限られた日程の中で照明を完璧にこなしてくれたるるさん。
 かつらの準備だけでなく、期待値爆上がりになるチラシの写真を撮影してくれ、会場に撮影に来たはずがお手伝いに巻き込まれたともか。
 誰よりも先に気を回してくれて、実はお客さんに快適な空間を提供してくれた最大の立役者であるのんちゃん。
 忙しい中何度も稽古を見ていただき、突然の桜台集会室でのお願いも快く引き受けて下さり、いつも演技を引き上げてくださったとも先生。
 衣装を快く貸してくれて着方を教えてくれたはなさん、もっちーさん。
照明をお借りしたウラダイコクさん。
 他にもたくさんの人にお世話になりました。応援してくれた友人や先生たちの言葉もいつも励みになっていました。

 すごく冷めたことをいえば、たぶん誰か欠けても、実際はその時はその時で何とかするし何とかなるんだろうと頭では思ったりします。
 でも、終わった瞬間に感じる「本当に奇跡みたいにピースがはまってて、誰か一人いなくても無理だったね」っていう気持ちは、紛れもなくその瞬間の真実なんだろうなと。

 
 私の『第七官界彷徨』はこれで一区切り。でもきっと、これからも彷徨い続けるんだろうなと思います。四十にして惑わずって言ってみたい。
 おっと、どうやら、蘚の花粉をだいぶ吸ってしまったようですね。  

 



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