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五感と真に手に入れたいものと(通年マイズナークラス振り返り②)

五感のチカラ

言葉を交わさずに相手を観てみると、言葉を交わすよりも雄弁に相手の情報が入ってきて、自分の感情が動くなと思うことが多い。
今日もリピテーションではなく、ただ相手を観察する、というワークをしていた時の方が、自分の中の状態にもすごく敏感だった気がする。そういえば去年ムケチョのWSに行った時も、確か内山さんと言葉を使わずにつながるみたいなワークをして、言葉なんてジャマだな、って思ったっけ。

そして、距離が近づいて、相手の匂いや体温を感じたりするようになると、その影響は何倍にも大きくなって。今日ペアを組んだのは割と普段からよく会う人でいつも見てるつもりだったけど、視覚から触覚から嗅覚から、全然違う発見や、そこに結びついてくる感情がたくさんあった。『お気に召すまま!?』の時も、匂いや相手に触れたときの感覚を使うことで準備がしやすかったし、五感の複合的なチカラってやっぱりすごいのだと思う。

再来週の宿題に出た『感情の記憶に紐づく匂い』も、感情と紐づいているのって圧倒的に人の匂いなんだよなあ…。自分で再現して持ち込めない…。

自分がその瞬間手に入れたいもの


リピテーションをやっていると、相手の状態や自分の中に起こっていることには割と気づけていたとしても、『自分は今どういう状態を手に入れたいのか?』と問われると難しいなと思うことが多い。分かりやすく手に入れたい状態がある瞬間もあるけど、そういう時間の方が圧倒的に短い。
その瞬間相手とどういう状態でいたいか、っていうものが、全くないはずはないと思うんだけど。それが小さすぎるのか、何かのバリアがあって見えなくなっているのか、気づくだけの余裕がないのか。

普通にリピテーションをやると、7割~8割は相手と遊ぶ感じになることが多い。でもよくよく振り返ってみると、多分心の底から遊びたいと思ってその時間を過ごしていることはあまり多くはないような気がしている。

うまく言えないんだけど、相手と自然に立ち上がっていくと遊ぶ感じになってそこに嘘はないんだけど、どこかで「ああ、またか」とか、「もっと違う形の心の交流がしたいな」とか、他のいろんな気持ちが実は生まれているのに蓋をしているような気もするんだよな。遊ぶことで安全地帯に自分を置いているというか。

そうやって考えてみると、相手と「遊んでる」中では「どういう状態を手に入れたいか」は自分の中で全然強い気持ちがなくて、あえて言うなら「遊びをやめたい」が実は奥底にあるのかなあと思ったりする。

今日、素直に感情が出てないってフィードバックをもらって。
本当に心の底から楽しいときとか嬉しいときとか、怒ってる時の感覚とかは人生の中で何回か記憶にあって、こういう時は自分のコントロールが外れている感覚はあるんだけど、リピテーションやっていてその状態になることはまずなくて。家に帰ってつらつら考えてみた結果がこれ。

また来週とかには全然違うこと言ってるかもしれんけど。



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