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足りないことだらけ(通年マイズナークラス⑬)

感じた違和感

今日も先週に続いて、堀江貴文さんをお借りしてのキャラクターワーク。
前回はインタビュー形式だったが、今回は10分強?くらいの講話。
演劇を趣味でやっている社会人を相手に、という設定。

今回は基本的には一方的なスピーチなので、伝えたいことのポイントと紐づく体験はざっくり準備して臨んだ。

ただ…喋りながら、「どうして自分はこの人たちに講話をしているんだろう?」「堀江さんがこの人たちにそもそも語りたいと思うんだろうか?」みたいなことが、根っこからどうしても消え去らなくて。
話している内容も、相手に合わせて考えてはいるんだけど、それは「”堀江さんが考えて”合わせた」のではなくて、「”ゆうが考えて”堀江さんの体験を使って合わせた」内容のような気がしていた。

話している内容に対する違和感だけでなく、話しぶりについても気持ち悪さがあった。この人たちに語るのに、多分堀江さんはこんなに熱を帯びた話し方はしない、と感じていた。
今日の喋り方の熱は、どちらかといえばマスコミや、政治家や専門家などといったプロを相手に話すときの姿に近くて、学生らに話すときの堀江さんはもっと落ち着いた語りをすることが多いように思う。今日の聞き手は、堀江さんから見ると後者に近いような気がしていて、なのに自然と熱を帯びていた自分がどこか嘘くさいと感じていたのだ。

圧倒的に足りない”凄み"のようなもの

語りをしながら、薄っぺらさを自分で感じていた。リサーチ不足もあるが、それ以上に圧倒的に堀江さんが持っている「情報」や「知識」、経験に裏付けられた「自信」が当然足りない。

福島に故郷をもつメンバーが、小泉純一郎を演じた人に最後に「原発」のことについて質問をした。いたって落ち着いた語り口で普通に質問をしただけなのだが、そこには刺すような鋭さがあって、心臓が掴まれたような感じがした。

本物からにじみ出るものには、多分凄みのようなものを感じるのだと思う。自分は堀江さんに会ったことはないが、大会場のセミナーならまだしも、今日のような部屋・人数で彼を目の前にしたら、仮に彼が笑顔でいたとしても、何をするともなくても威圧感や緊張感を感じるのではないかと思う。

まだまだ、遠い。

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