なんで自転車競技に一生懸命?

昨日、ある方からこう問われた
考えた事なかったから居場所だからかな〜って答えたけど少し違う気もしていて考えてみた。

好きだから?
これは間違ない

それ以外は?
考えてみる
幼少期
補助輪付きの自転車は小学生に上がる前に自分で補助輪を外しただったかで、自宅前の坂を惰性で下った記憶がある。
ペダルを漕いでではなく、下りを利用して惰性で!勿論、ブレーキをかけるとかの概念がなく転んで止まったのでそこは鮮明に覚えている。
それから小学生時代は沢山の子供用自転車やママチャリ改造などで7台ほど乗り継いだかな・・・
楽しかったのは、弟や妹の小径車を取り上げてカゴなどの邪魔なものを外して山に行く!
林道ではなく、獣道など下り基調の道無き道を立木を避けながら全開で走る
並行して2年か3年生でモトクロスも遊びで乗り始める←エンジン付き(笑)
モトクロスは楽しいけど速く走れず気がついたらやめていた(T ^ T)
中学生になりFUJIのダブルレバーを買ってもらう。
学校まで6kmほどあり幼なじみも同じくダブルレバーを購入してもらっていたので毎日のように学校の行き帰りで競争しながら走る
偶に南大隅高校の自転車部を見つけると追いかける!
自分が何km/hで走ってるか知りたくてスピードメーターを取り付ける(笑)ワイヤー式
自衛隊の街でフェンス沿いは信号なく数キロメートルはもがき放題
平坦最高記録は55km/h
4kmぐらいのアベレージは今より速かったのではなかろうか
そんなことしてたら高校入学前に南大隅高校に入らないか(自転車部へ)と、誘われたが自転車競技を知らずあっさりと断る

それから大分間が開き30歳前のメタボ体系の頃に、その当時関わっていた青年会議所のイベントでロードバイクを買う羽目になったのだがサイクリングさえやらなかった!

そして転機が訪れる
沖縄に移住
通勤用にロードバイクを引っ張り出す
ここから沢山の出会いがあり人生が変わるほどの自転車ライフ

たまたま自転車整備に持ち込んだスポーツデポの自転車コーナーのスタッフの方と意気投合
サイクリング&月一飲み会始める。
そして誘われるままにツールドおきなわ市民50kmレースに出場
勿論、練習してないから勝負になんか関われない!
それでも根性で(足の筋肉全部攣ったのではないか?)先頭集団最後尾でゴール
今考えれば自分の力ではなく集団の力でついていけただけど、何も知らない素人は自分の力と勘違い
相変わらず練習なんてせずちょっとゴールスプリントの真似事だけ練習して3回目ぐらいチャレンジで2位入賞
それから勘違いでトレーニング頑張り始めて今かな・・・

しかし、それ以外はないのか考えてみる。
勉強は?
転向してきた親友と思ってた奴が勉強できて、負けたくない一心で数教科だけは1年間だけ勝負したが彼が中学受験でいなくなり目標を失いやめる←そもそも勉強嫌い(笑)

他には?
一番続けたのは水泳だ!
小学1年から始めた
前半はとにかく辛い思い出のみ!何故続いたのか不明なぐらい
今でもそうだが、あまり人の言うこと聞かないのが仇となり初心者クラスから上に上がったのは同期の中では最後!
自分の中では何故上のクラスに上げないのだ?あのコーチは馬鹿だろうかぐらい思ってたけど、ただ下手だっただけだ
そんなだから6年間続けても市大会でさえ目立たない自己満一生懸命な奴

中学生になると何故か懲りずに水泳部へ
なんとこの学校は県内でトップクラスの実力
それに加えて同級生は学童記録を塗り替え化物と言われる奴や水泳エリートの集まり
結構な人数が入部したがどんどん辞めていく!
自分も練習についていけず、その反省と称する先輩達のイビリに耐えられず登部拒否
悪さばかりし始めた頃、何故か顧問の先生が水泳部に引き戻す為、教室前で待ち構え往復ビンタ喰らわしてプールに連れて行かれる。
サボるとビンタが待っているので仕方なく部活に行く!←今ならTVにて報道されかねない暴力教師(笑)
そんなで3年間経った頃
部活内では自由形だけならNo.2にはなれた
県内で3番目のタイム
リレーでは県記録更新メンバー
なんとかJOの標準記録もクリア
才能なくても不器用でも努力すればそれなりの結果はついてくる成功体験を経験させてもらった。

何故か辛くても1度始めるとやめない不器用さと好きな事は続ける!
更にかけがえのない成功体験を経験させてもらったことが大きいのでないだろうか?

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2019/10/8~

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