浅野和三郎『心霊研究とその帰趨』

私が改めて注意するまでもなく、すでに心霊事実に親まれた読者諸子は、人生の目的が生前死後を通じて、永遠の向上であり、進歩であることに充分お気づきになったことと思う。現世生活は彼に取りて第一段の道場で、爰で種々雑多の経験を積み、以て人格の基礎工事を営むのである。やがて肉体を放棄して、所謂死の関門を通過した時に、その第二段の幽界の修行が始まる。(…)第三段の霊界生活に進むと、もーそろそろ地上の人間とは段違いになってくる。(…)更にその上の第四段の神界となると相互の距離は千万里、よほどの傑物にあらざる限り、地上人として殆んどこれに向って手のつけようがないことになる。

(…)然らば人間はその窮極に於てどこまで進むべき運命を有っているか――それは遺憾ながら現在に於て到底われわれの思索想像の限りではない。強いていえば、それぞれ特殊の経験を携えたる個々の小我が、無限絶対の大我の中に、やがては融合一致するのではないかと推定される位のものである。この推定の当否はしばらく別問題として、各自が生前から死後に亘り永遠に向上進歩の途を辿るべき運命を有っていることは、現在われわれが有する心霊資料の指示によって最早確定的事実であると観て差支ないようである。

浅野和三郎『心霊研究とその帰趨』心霊科学研究会、1950年、142-143頁。

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