ルネ・デュボス『健康という幻想』

特定の個人の健康状態が、その芸術的創造に及ぼす影響については、たくさん記述がある。R・L・スティーヴンソンは、結核から回復すると、自分の芸術的才能に対する刺激が失われたと述べた。マルセル・プルストの世界観に、喘息はあきらかに大きな役割を演じた。しかしながら、社会全体に関する芸術と病気の間にある関係はひじょうに興味がある。そのいくつかは、さまざまの形ですなおに直接表現されているため、病気の広まりに関する多くの有益な知識を絵画や彫刻の記録から取りだすことができる。
ルネ・デュボス『健康という幻想』田多井吉之介訳、紀伊国屋書店、1977年、177-178頁。

十九世紀中は、結核が病気と死亡の唯一最大の原因だった。ひじょうに多くの若い男女を殺し、ひじょうに多くの心を傷つけたため、たしかに、日常の体験に短命に対する絶望感をいだかせることによって、ロマンチックな時代の憂鬱なムードをかりたてた。キーツのことばでいう「青年は青白くなり、やせて、死んでしまう」時代だったのだ。肺病で死んでいく若い女性の散りゆく姿は、当時まさしく衰弱病と呼ばれたが、文学上の詩的主題に取りあげられた。
ルネ・デュボス『健康という幻想』田多井吉之介訳、紀伊国屋書店、1977年、184-185頁。

たとえ抽象芸術でも、客観的な現実の圧迫に対する抗議であることにまちがいはない。過去と同じように現代でも、健康と病気の問題は、芸術的創造のトピックとムードに影響をあたえる環境の諸因子の中にある。中世と十九世紀の人たちが、飢えや栄養不良、不潔、悪疫でその態度や情緒を色づけされた事実に気づかなかったと同じように、私たちも、この影響を見定めることはできないだろう。だが、現在の競争的・機械的な生活の病理的な現われは、私たちの文化の気風に反映していることはたしかである。高血圧から沈黙を守る絶望や急性の偏執狂にいたる現代の病気は、将来の批評家にとって、ロマンチック時代の感傷過剰が今日の私たちに判断できると同じように、不健康で怪しげなムードを、現代の音楽、文章、造形芸術に分かちあたえないわけにはいかないのだ。
直接間接に、さまざまの形の芸術は、人類の苦闘、努力、苦悩を反映している。社会の病気と健康状態は、医師や学者の記述だけではなく、芸術家と詩人のテーマとムードにも記録されるのである。
ルネ・デュボス『健康という幻想』田多井吉之介訳、紀伊国屋書店、1977年、191-192頁。

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