クリスチアン・タル・シャラー『光の剣――遥かなる過去世への旅』

例えば、五〇歳になってもまだ、一〇歳の時に母を、あるいは父を亡くしたことで苦しんでいる人がいます。この人は、いまだに過去のつらい思い、苦しみ、怒りなどを持ち越して背負っているのです。それが、今世のものであれ、過去世のものであれ、衝撃的な出来事は、霊的な気づきの光を当てない限り、また無条件の愛によって癒されない限り、いつまでも私たちの重荷となり続けます。

無条件の愛はどんな不安も恐れも消し去ります。無条件の愛さえあれば、神の子である私たちには何も恐るべきことは起こらないのです。たとえ死んだとしても、それは、もともと私たちがいた光の世界に還ることでしかありません。

いつも魂と結びついていれば、どんな状況に立ち至っても、どんな事件に遭遇しても、私たちが足を踏みはずすことはありません。

しかし、霊的な源泉からどんどん遠ざかり、自らの本質を忘れ、右脳を閉ざしてしまうなら――右脳というのは、直観、想像力、夢の座であり、霊界にもつながっている潜在意識への通路です――、左脳によって作られた限定的思考の中に閉じ込められて、自分に起こることをすべて、ひどい不幸、恐るべき破局、避けられない災厄であると見なすようになります。

そんなふうに制限された思考は、私たちの〈感情体〉の中に、裁き、恐れ、怒り、憎しみ、フラストレーション、恨み、自己憐憫、悲しみ、嫉妬といったネガティブな感情のクラスターを作ります。

そうした感情が強すぎて、受け入れられないほどのものであった場合、私たちはそれを拒絶してしまいます。そうすると、それは自分の生命の一部であるにもかかわらず、充分に生きられることなく、潜在意識の奥にある冷凍庫に放り込まれてしまうのです。こうして、氷の塊のようになったその感情は、いつまでも潜在意識の冷凍庫の中に保存されることになります。自分ではそれが無くなったと思っていますが、そのまま放っておいたのでは、それが無くなることは全体にありません。

こうして、私たちは、自分自身の一部分を切り離したまま、そのことを自覚せずに生き続けます。私たちの〈内なる役者たち〉のうちの何人かが、私たちに耐えがたい苦しみをもたらすということで弾劾され、厳しい追放処分を受けたのです。

彼らは、左脳によって断罪され、忘却の冷蔵庫に入れられ、二重に鍵をかけられます。こうして私たちは葛藤をもたらす状況を消し去ったつもりになっていますが、その状況は消えたわけではなく、時の彼方に置き去りにされただけなのです。問題を置いた場所が変わっただけで、問題それ自体は解決されていないのです。

事実、こうして〈隔離〉された人物たちは、そのまま冷凍庫の中で苦しみ続け、何年、何十年ものあいだ、あるいは何転生にもわたって、なんとか私たちの関心を引こうとしています。私たちの関心を引くために、彼らは、私たちの日常生活の中に、さまざまな問題、痛み、苦しみを引き起こします。そうすることによって、私たちが彼らの存在に気づき、彼らを隔離するのをやめ、無条件に愛するようにと、必死の思いでサインを送ってきているのです。

問題、障害、葛藤、苦悩、不調、緊張、病気などの数が多ければ多いほど、私たちは、過去において経験した苦しい状況に不健康なやり方で対処してきた、ということになります。

〈感情体〉、〈精神体〉、〈霊体〉は、決して消滅することなく、一つの人生から次の人生へと引き継がれてゆきます。ですから、解決されなかった葛藤、うまく愛されなかった私たちの人格の一部分は、次の新たな肉体に持ち越されてそこで解決されようとします。より多くの愛と、より拡大された意識こそが、私たちの転生の目的なのです。

クリスチアン・タル・シャラー『光の剣――遥かなる過去世への旅』浅岡夢二訳、ハート出版、2004年、57-60頁。


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